JDLAHOMEへHOMEへ

家裁からの通信

(井上博道)
第0009回 (2004/03/29)
仙台で非行問題の親子会をつくる話1(理屈編)

体力的に消耗し,しばらくお休みをしていました。ごめんなさい。
 さて,今日の話題です。
 
 いま,仙台で家族の中に非行少年をかかえる保護者の会の設立を準備中です。
 非行少年をもつ親が安心して,自分の悩みや苦しみを語れるシェルターとしてこの
 会を設立しようと思っているわけです。

  ご存じの方もいらっしゃると思いますが,いま現場では少年事件の処理方法が大転
 換しています。どのように転換しているかと言えば,一言でまとめると「集団化」と
 いう言葉に集約できるかもしれません。
 
 「家庭裁判所で集団化?」と驚かれる方もいらっしゃるかもしれませんが,まあ聞い
 て下さい。

  集団化という言葉の響きには否定的な部分があるかもしれませんね。
 集団といえば定型処理,大量で機械的処理というイメージ,いわば工場のイメージ
 がついてまわるからです。
  ここでの集団化は,そんなイメージではありません。

 理解していただくために,すこし歴史的なお話をしておきます。(理屈っぽくて大変申し訳  ありません。ごめんなさい)
 
 そもそも集団化の起源は,家庭裁判所創設当時までさかのぼります。
 戦後の少年法の中には,「ケースワーク」という言葉が法律の文言に入っていません。
 これは,当時の裁判所内に外来語で,非法律的な文言を受け入れる余地がなかった事
 が大きな原因です。
  この点は「裁かれる少年たち」(大月書店)でも述べておきました。
 しかし,例えば初代家庭局長の宇田川判事が出された「家裁の窓から」や調査官研修所
 発行の所報などを見れば,家庭裁判所の発足当時はケースワークがあたりまえの家裁の
 機能として語られています。
  従って,ケースワークは少年法には入っていませんが,家裁が他の裁判所と区別され    る基本中の基本の機能であるといえます。

 家庭裁判所における集団化の起源は,この家裁のケースワークの発達史と密接な関係が
 あると考えることができます。

 ケースワークとは何であるのか。
 「社会福祉辞典」(誠心書房)の定義を要約してみたいと思います。(我流で申し訳な    いのですが)

  まず,ケースワークは正確には「ソーシャルケースワーク」と呼ばれます。ここは     重要な点です。「ソーシャル」という言葉が入るということは,ケースワークの対象     が,個人という単位ではなく,個人と社会(人間関係,社会資源など,一般的には社
 会資源と呼ばれます)との関係のあり方を対象としているということです。

 ケースワークは社会福祉の領域で使用されている技術ですが,同時にグループワーク
 コミュニティー・オーガニゼーションの技術とと密接な関連があること。

 具体的には「個人及び家族を単位とし個別的に行われる対象処遇の方法で」「ケース     ワークの取り上げる問題は社会環境との調整を要する個人又は家族の不適応状態であ
 る」「個人の人格面の変容を目指す治療はケースワークの直接課題とはならない」とさ    れています。

 つまりケースワークは,個人又は家族を単位として,社会環境との調整を要する不適応 状態に対して個別的に処遇をおこなう援助技術であり,個人の人格面の変容を目指す治 療を含まないものと要約できると思います。

 ここで「あれ?」と思われた方は,家裁の現状をよく知っている人でしょう。
 現実の家裁調査官は,現在では「カウンセラー」的な特徴をだそうとすることが多い
 からです。
  大規模な家裁には「カウンセリング室」までありますから。

 ちなみにカウンセリングの定義ですが,心理学事典を要約(これも我流でまとめます)
 すると,「自分の直面している問題や悩みを解決することが困難な人(カウンセリー
 :被相談者又はクライエント:来談者)と,その問題の解決に助言を与えたり,ある     いはその人のパーソナリティーの発達や変容を助けようとすること」といえます。

  つまり,ケースワークとカウンセリングは異なった対象と方法を扱っているものとい    えるわけで,カウンセリングでケースワークは相互に代替えできるものではありません。   
 家裁の当初の構想では,家裁に家庭裁判所調査官を置き,ケースワークを行わせる。
 それがコンセプトでした。
 
 ただし,少年法には当時の水準からケースワークの文言を入れることができないため
 調査という言葉に置き換えられたといえます。
  もちろんこの場合の調査は,資料の収集及び現状の分析という側面を持っていますが
 同時にケースワークの概念を含んでいたと思います。
  しかし,日本語としての調査には,直接ケースワークという意味は入りませんので,    実態としてケースワークを実践できるしくみ,すなわち「在宅試験観察」制度が導入さ    れたといえます。
  ちなみに,ケースワークの方法は次の順序ですすめられると言われています。

   第一段階 社会調査(インテーク)
   第二段階 社会診断
   第三段階 社会治療

  少年法9条(調査の方針)だけでは,その文言が第一,第二段階までしか規定してい    ないように思えますので,少年法25条T及びUにおいて家庭裁判所調査官の観察とい
 う方法を規定(いわゆる在宅試験観察制度です)して,ケースワークの三段階をカバー
 しうる体制をつくったわけです。

  逆にカウンセリングの直接的な規定はありません。25条を利用してはいるのですが
 カウンセリングがパーソナリティーの変容や発達をテーマとする場合,少年法が予定し
 家裁におけるケースワークと,そもそも関連性が薄いのです。
  つまり,パーソナリティーの変容を伴うような行為は,国家機関の内心へ関係づけと    いう危険性をはらんでいるからです。(ここは異論がある人もいるかも知れません)

 しかし,そうは言っても,カウンセリングそのものは援助活動として,重要な役割をも    っていますし,ケースワークも当初は法学や社会学,経済学を基盤として学際的に発達
 してきましたが,その後心理学,精神医学の知見を導入し,1950年代以降は社会諸    科学や行動科学が導入されるようになっていますから,ケースワークの一つの技法とし
 てカウンセリング技術の活用があることは不思議ではありません。

 問題なのは,一時期家裁でももてはやされた心理療法的のような技術です。
 心理療法は「心理的手段によって病気の治療をはかること」「人格の深層にかかわる問    題の治療的援助活動」と要約できます。

  ここまでくると信号は黄色から赤にかわりそうです。
 ここまでくると,ケースワークとの関連からは大きく離れ,強制力のある国家機関であ    る家裁の人格部分への治療介入という別な(生臭い)話になってくるのではないでしょ    うか。
  しかも,心理療法の対象は判然としません。精神障害については精神医学の対象です
 から,対象は人格障害とも思えますが,何を人格障害とするかについて,その領域は社    会の方向とかかわってきますから。(変な人=人格障害とはなりませんので念のため)
  「サイコパス」という言葉もありますが,社会体制に反対するものを含むという定義
 までする人もいますね。これは本当にパスしたい考えですね(おもしろくないか)

   さて,言葉の役者が出そろったところで,次回には,その関係を述べたいと思いま    す。(またまた理屈っぽいですが,がまんしてね)

 
  


<前頁 | 目次 | 次頁>

このシステムはColumn HTMLカスタマイズしたものです。
当サイトは日本民主法律家協会が管理運営しています。