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家裁からの通信

(井上博道)
第0014回 (2004/05/11)
仙台で非行問題の親子会をつくる話4(理屈編)

私が家庭裁判所に入ったのは,1983年のことです。
家庭裁判所調査官は,「家庭裁判所調査官補試験」に合格したものが,約2年弱の研修期間をへて任命されるしくみですから,正確に言えば,この時は家庭裁判所調査官補になったというのが正しいかもしれません。
 研修期間は約10ヶ月程度の研修所での勉強(学校と同じです)及び13ヶ月程度の現場実習を行います。ちなみに1981年以前は,家庭裁判所調査官の養成は3年から4年の長期間にわたって行われました。
 余談ですが,私たちは2年の研修期間の研修生(調査官補)だったので「短期養成」とか「促成栽培」とか言われ,調査官としての力量が不十分なまま調査官になるのではないかと言われたものです。
 
 最長4年間の調査官補としての養成期間は,いかにも長いようですが,その頃の研修は,「現場主義」であり,学生のように教室で何かを学ぶという点についてはむしろ拒否感が残っていました。現場では「研修所で習ったことは忘れろ」という先輩は珍しくはありませんでしたし,研修所の終了後(卒業後)それまで配布された教科書・資料の一切を焼却炉で燃やして現場復帰する先輩もたくさんいました。
 
「現場のことは,現場に聞け」ということだと思います。

いまでは,若い調査官補は,配布された教科書や資料を消却するような野蛮な(ある意味,思いっきりのいいともいえるかもしれませんが)行為は全く見られなくなりました。
 研修所で教わったことを基本にして,行動の指針とするような人も多くなっています。どちらが,調査官としてよかったかについては,どれだけ人々に質の高いサービスが提供できるかどうかだと思います。

 さて,わたしが研修所に入って驚いたのは,研修所のカリキュラムの多くが,カウンセリングや心理学の科目に大きな重点がおかれていたことです。とりわけ当時重視されていたのは,精神分析に関する講義でした。
 研修所のカリキュラムは,大別すると法律に関する科目と人間関係諸科学に関する科目に別れます。ちなみに法律の科目がカリキュラムに導入されたのは,わたしが研修所に入所する12年程前であり,導入時には法律科目導入反対の闘争が当時の研修生からおきたと聞いています。

 前回も述べましたが,調査官の思考は発足当時のケースワーク重視から紆余曲折を経て,カウンセリングに重点を置いた方向への移ってきましたが,この時代の中核は,精神分析を中心とするカウンセリングであったのではないかと思います。

 もっとも,かのフロイト先生は,精神分析の担い手はあくまでも解剖学や医学的知見をもった医師に限定し,かつ教育分析を受けることを義務づけていたところがあるそうですから,精神分析が調査官の技術になることはその意味でもありえず,結局のところケースの見立て(分析方法)としてカリキュラム化されていたといってよいでしょう。
 大きな家庭裁判所には,1970年代のカウンセリング時代の到来とともに,カウンセリング室がつくられ,現場ではロジャース流のカウンセリング手法が指示を集めていたこともあり,ここでも現場と研修所にねじれがあったのかもしれません。

 この時代に精神分析の方法論が導入された背景には,第一に研修所が開設して比較的初期段階から組織的に精神分析を研修に取り入れていたこと(我が国の戦後の精神分析の流れを代表するような学者が開設当初から研修所に講師として来ていました),つまり比較的研修カリキュラムに導入しやすい環境であったということです。第二に1960年代から1970年代にかけて我が国の家庭裁判所のモデルになっていたアメリカにおいて,ケースワークの技術に精神分析手法が取り入れられていたことがあると思います。

 しかし,わたしはそれ以上に,精神分析的(あくまでも「的」です。研修所でも「的」という言葉が多様されていました)な手法が,「治療」と「解釈」を分離してケースを「解釈」するのに便利であったという点があったのではないかと思います。
 わたしは,こうした精神分析的手法が,結果として調査官の多くのものを失う結果になってのではないかとおもうのですが。

この点については,次回に述べたいと思います。

                           

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