JDLAHOMEへHOMEへ

清水雅彦の映画評

第0013回 (2005/06/30)
『リチャード・ニクソン暗殺を企てた男』〜「砂漠に埋もれた1粒の砂」の「反乱」

【ストーリー】
1974年2月22日、ワシントン・バルチモア国際空港に、サム・ビック(ショーン・ペン)はいた。話は1年前。サムは兄の経営するタイヤ会社を辞めた後、事務用器具店の販売員になったばかりだった。彼には別居中の妻・マリー(ナオミ・ワッツ)と3人の子どもがおり、サムは再就職により家庭を取り戻すことを夢見る。しかし、客をだまして売り上げを伸ばす上司のやり方になじめず、マリーが他の男と外出していたことを目撃する。そんな中、正直で不器用なサムはとうとう会社を辞め、さらにマリーの離婚請求を認めた裁判所の通知書が届く。最後の望みである友人・ボニー(ドン・チードル)とのタイヤ販売事業の開始は、中小企業庁の融資不採択決定で頓挫。この騒動で兄からは絶縁を言い渡される。サムが人生に悪戦苦闘している時、常にテレビから流れていたのは、ウォーターゲート事件に対する空虚な弁明を繰り返すニクソンの姿。サムは飛行機をハイジャックして、飛行機ごとホワイトハウスに突入するため、バルチモア空港に向かい……。


【コメント】
本作品は、「9・11事件」の約30年前、飛行機をハイジャックしてホワイトハウスに突入しようと計画するが、未遂に終わった実話を基にしたものです。主演は、『ミスティック・リバー』でアカデミー主演男優賞を受賞したショーン・ペン。彼の演技力は以前から注目していましたが、彼はまた、反ブッシュの発言で有名な俳優です。この作品の企画が始まったのは1999年。しかし、政治的内容故に資金が集まらず、レオナルド・ディカプリオとアレクサンダー・ペインが製作総指揮に加わることで完成にこぎ着けます。

サムは普通に仕事をして、妻と子どもとの幸せな暮らしを望んでいただけですが、その不器用で純粋な性格が災いし、うまくいきませんでした。彼が望んだのは億万長者でも大統領の地位でもなく、いわゆる庶民的な生活です。しかし、アメリカ社会は、「嘘のない世界」を望み、正直に生きたいという庶民の願いをかなえず、嘘とペテンにたけた者が富と地位を独占していました。「従業員という名前の新しい奴隷」の存在や「正直者はバカを見る」ということに気づいたサムは、黙って引き下がらなかったのです。

確かに、サムは自分の失敗を他人のせいにする傾向があり、被害妄想的なところもなきにしもあらずです。また、強引で無神経で突発的。そして、彼の不器用で純粋なところが問題をこじらせたりしています。しかし、サムのような人間はいくらでもいるでしょう。私は彼がどんどん追い込まれていく様を、感情移入して見ることができました。日本でも日常的に親の七光りやコネ、嘘とペテンで富と地位を手に入れている人はいくらでもいます。経営者や政治家に限らず、「人権派」法律家にも。しかし、こういう人たちは、自分たちとは対極にある庶民への想像力に欠けているタイプが多いようです。

アメリカではこの70年代よりもさらに厳しい競争社会に突入したのが80年代。一部の「勝ち組」と多数の「負け組」が生み出される新自由主義改革によるものです。日本でも中曽根政権や橋本政権で部分的に導入されましたが、今、小泉政権と民主党が「改革」を競おうとしています。しかし、社会的弱者への救済システムが不十分なところで、改革を進めたらどうなるか。この映画を、「ある狂信的人物の話」と捉えるのではなく、社会の病理を照射する映画と捉えた上で、現代社会を考えてみるべきです。



原題:The Assassination of Richard Nixon
2004年アメリカ映画
監督:ニルス・ミュラー
配給・宣伝:ワイズポリシー
共同提供・配給:アートポート
上映時間:1時間47分
テアトル系映画館ほかで上映中
http://www.wisepolicy.com/the_assassination_of_richard_nixon/

<前頁 | 目次 | 次頁>

このシステムはColumn HTMLカスタマイズしたものです。
清水雅彦の映画評/当サイトは日本民主法律家協会が管理運営しています。