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清水雅彦の映画評

第0018回 (2005/07/27)
『最後の庭の息子たち』〜ボリビアの若者の現実と苦悩を描く

【ストーリー】
経済危機と政治腐敗に対して民衆の抗議活動が展開されているボリビアの首都ラパス。政治家の汚職に怒りを抱くフェルナンド(アレハンドロ・サラテ)は、友人のオスカル(ヘンリー・ウンスエッタ)、ラウル(カルロス・メンドサ)、マヌエル(ルイス・ボリバル)を誘って、汚職議員の自宅から多額のドルを盗み出した。義賊=ロビンフッドを気取って、貧しい人々に分けるために。しかし、警備員に顔を見られた彼らは、身の隠し場所とお金の配布先を相談するために、フェルナンドの先住民の友人で大学教員のロベルト(ビクトル・サリナス)の所へ相談に行く。ロベルトは彼らの行為を非難するが、仕方なく彼らを兄が住んでいる地方の貧しい先住民の村へ連れて行くことにする。途中、お金をめぐっての口論やラウルの逃走騒ぎもあったが、なんとか村にたどり着く。村では村人みんなが集まって、お金をどうするか話し合いで決めることになり……。


【コメント】
本作品は、これまでアンデスの先住民を描いてきたボリビアのホルヘ・サンヒネス監督による作品です。今回は、グローバリズムと新自由主義による多国籍企業の天然資源の収奪や貧富の格差拡大などに対して、片や享楽主義に陥り、片や苦悩する若者たちを中心に描いています。5人の徒歩による移動シーンの中に、ところどころ回想シーンを織り交ぜながら物語を展開させて。本作品の配給には、これまで中南米の問題を積極的に日本に紹介してきた太田昌国さんらの現代企画室が協力しています。

映画は、回想シーンの中で、ボリビアの現実を観客に突きつけます。フェルナンドの祖父は、お金を得るために大事な軍人勲章を売ろうとしますが、何の助けにもならず、涙する。フェルナンドの妹は、銀行による自宅の差押え後、家族の生活を支えるために身体を売り始める。街頭では憲法改正を求める民衆のデモや、年金支給額の減額に反対する年金生活者のデモが行われ、税金引き上げに反対する警察官のデモ隊に対しては、軍隊が発砲する。一方で、かつての時代と違って、社会変革の主体になれない若者たち。大学生ながら、遊ぶ金ほしさに女子学生からのひったくりや宝石店からの強奪を行うオスカルとラウル。男性のヌード写真を鞄に入れて持ち歩く女子大生。銀行からの取り立てに苦しむ家族のことを考えず、職を見つけようとしないフェルナンド。

監督は、フェルナンドら若者4人の行為を肯定しません。一行が苦労して運んだ大金も、村人は受け取らないし、一休みしたレストランであっけなく少年に盗まれてしまう。オスカルとラウルはひったくり容疑で逮捕され、彼らと共に盗みを繰り返した先住民系のマレーナは住民に捕まってリンチにより殺されてしまう。そもそもお金についても、村で「無垢な」(精神障がいのある)少女がおもちゃと思いこんで運び出すシーンを入れることで、全ての者に価値があるものではないことを示す。そして、お金を盗まれた汚職議員は、相変わらず裕福な生活を維持し、何も変わっていない。

では、監督が抱く希望は何でしょうか。社会的行動をしつつ、変革の手段を非暴力主義と考えるロベルトの設定。先住民の共同体全員で何日も徹底的に議論しながら、合意に達するとみんなで実行する決定方式の描き方。これについて、フェルナンドは「あんなやり方、これまで見たことない」といい、ロベルトはこのやり方を先住民のアイマラ語で「マルカサンチャマパ」(人々の偉大さ)と教える。グローバリズムと新自由主義に抵抗し、「先住民」「白人」「混血」が共存するには、力による解決ではなく、時間がかかろうと民主主義の徹底が必要であると示唆します。



2003年ボリビア映画
監督:ホルヘ・サンヒネス
配給:シネマテーク・インディアス
協力:現代企画室、スタンス・カンパニー、ムヴィオラ
上映時間:1時間37分
渋谷ユーロスペースにて7月30日から8月5日まで上映
http://www.jca.apc.org/gendai/ukamau/jardin/page/top.htm

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