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家裁からの通信

(井上博道)
第0006回 (2004/02/29)
子どもの権利条約ジュネーブ会議報告、その5

ジュネーブ会議の報告会が2月28日、東京は青山にある「青山会館」という場所で行われました。そこへ行ってきましたので、きょうはちょっと疲れています。
 ところで、その場で子どもの権利条約委員会の勧告に対して、訂正申し入れがなされているという情報がありましたので、ちょって報告します。
 「16歳以上の少年を刑事裁判所に送致する制度を廃止すること」と原文では書いてあったのですが、「改正」少年法では刑事罰適用年齢が14歳に引き下げられましたので、これは「14歳以上の少年を刑事裁判所に送致することを廃止すること」が正しいわけです。訂正は日弁連がおこなっているようです。
 この勧告の意義は大きいと思います。もし勧告を受け入れるとすれば、少年法(改正前も後もです)がもっていたいわゆる検察官送致(少年法20条)そのものが対象になるからです。
 「ぎりぎり最後は検察官に送れる」という家裁の考えは通じなくなります。つまり刑事手続きを選択できず、要保護性一本ということですから、今の家裁の能力、スキルそのものの存在意義が問われるようになるでしょう。

 子どもの権利条約委員会の勧告は、「改正」少年法の主な改正点を全面的に否定する論点をもっているわけですが、それと同時に改正前の少年法及び家裁調査官の実務・運用に諸刃の刃になる部分もあります。
 集会で私が発言した内容(要旨)を書いておきます。
「子どもの権利委員会の勧告の内容は、「改正」少年法の改正の論点に対して厳しい内容を持っていることは明らかであると思います。全面的に否定若しくは疑問をなげかけていると言ってよいでしょう。
 しかし、その反面、現在の調査官及び家裁の実務や運用に対しても鋭い論点を投げかけていることをわすれてはならないのではないでしょうか。
 具体的には、勧告の立場は家庭裁判所と地方裁判所(刑事裁判所)が現在もっている20条(検察官送致)という架け橋を断ち切るということを求めているわけです。そもそも日本の家庭裁判所は創業以来、刑事的な要素を持たないことを特色とし、誇りとしてきたわけですが、反面20条がある。最後は20条があるという安心感もあったわけです。だから要保護性と刑事的な責任を比較考量し、後者をとることで、悪質・凶悪とされた事件を家裁の保護手続から分離することができた。しかし、この橋が断ち切られるということは、20条U項(いわゆる原則検送)の否定にとどまっていないわけです。これは、少年法改正論議で改正に反対した立場であってもとっていなかったことです。つまり要保護性一本でやるということであり、社会的非難を含めて、家裁や調査官が引き受けるという覚悟がいるということです。
 これは厳しい。そもそも今私を含めて、全ての調査官がそれだけのノウハウとスキルをもっているといえるのか。そのノウハウとスキルを社会が納得するレベルまで高める努力をしているのか。疑問とせざるをえない。結局のところ、要保護性を担当する調査官に鋭くつきつけられた匕首ではないかと思う。私たちがその匕首を受ける程の度胸があるのかが問われているのではないか。
 次に、勧告は問題ある少年を被疑者として取り扱わないといっている。これは現在の家裁でいう「ぐ犯送致」(注:犯罪を犯すおそれのある少年を、通常の事件同様に保護処分を含めて全ての処遇が可能とするもの。一部の法律家からは「予防拘禁」との批判があるが、本来は犯罪に陥る少年の身柄の安全の保護として設けられた制度である)を否定する内容である。ジュネーブの会議ではこのことも言われていたが、その際も実は調査官として猛烈な違和感があった。いままさに犯罪の魔の手に陥ろうとしている子どもたちを何としても救いたい、保護したいというのが「ぐ犯」の本質ではないかと思っていたからである。有り体にいえば、たしかに法律の要請が重要であることはわかるが、子どもが犯罪にをおかすのを待ってしか処遇できないことで、家裁や少年法の保護という崇高な理念が守れるのか。そう思ったのです。
 しかし、どうやら勧告はこのような思いが、国際基準ではないと言っているようで、この点については「日本の基準でいいのではないか」とも思いました。しかし、その一方で「改正」少年法の主要改正点に対する勧告のみを是とし、こうした「20条」及び「ぐ犯」については日本ルールで良いという立場は、なんだかアンフェアではないか。日本政府の答弁の中にあった「文化・社会的風土、国民の納得」の強調によって、「子どもの権利条約」の一部(大部分?)を受け入れないない態度と本質的には異ならないのいでないかと思えるのです。
 もし、これを何らかの枠組みで残そうとすれば、このままでは勧告との摩擦を生じてします。とすれば運用を含めて、根本から「ぐ犯」を組み立て直さなければならないということです。これも厳しい論点ではないでしょうか。
 最後に弁護士と付添人の関係です。勧告は少年に対する法的援助にふれています。付添人は少年の更正を援助する存在ですが、現在の家裁の実務では絶対的多数が弁護士による付添人なわけです。弁護士しか認められないという建前ですが、実際にはその他の人が付添人となることはなかなかハードルが高いといえます。付添人は更正の援助者と同時に弁護人としての役割を期待されているわけですが、その本質は更正に重きが置かれているといってよいのではないかと思います。従って、建前としては付添人は法的援助の手続にあたるのかどうか。はっきりしないところがあるのではないかと思います。もちろん実務は明確に法的援助者である、しかし同時に更正の援助者でもあるという立場でしょう。しかし、子どもの権利条約の勧告の立場と同じであるのか。これははなはだ疑問だといえます。
この部分はいわゆるデュープロセス(法的な適正手続)重視なわけで、付添人のあいまいでありながら、理想的な姿はやっぱり摩擦となってしまうのではないか。現在、観護措置決定の事案についてのみに公的付添人を限るべきかどうか(現在は制限なし)が議論されていると聞きますが。もし、勧告の立場に立つならば、弁護人的性格をもった付添人を全件に関与させる方向になるのではないかと思えるのです。
 では法的支援は更正なのか。それとも弁護人なのか。この点をめぐって家裁の実務は大きく舵取りをせまられていくのではないでしょうか。
 いずれにせよ、我々は「いいとこ取り」をすることはできない。勧告を真っ正面から受け止め、時には委員会に切り込む姿勢が必要だと思います。それくらいの気概が必要であるといことではないでしょうか」

つなたい内容ではありますが、今の問題意識です。みなさんはどのように考えますか。
この国の実務でも、よいものは国際基準にしてもらおう。それだけの気概をもたなくて家裁や調査官の実務ができるのかという思いをこめて発言しました。
 若干報告会で、言っていない部分あるいは加筆したところもあるかもしれませんが、今の私のいつわらない気持ちです。

 報告会ではレジュメを出せませんでしたので、ちょっとレジュメをだしてみたいと思います。

 最後に一言、ちょっと疲れてしまいました。若いつもりでも東京往復はつらい。仙台の夜景をみるとほっとした気持ちになります。
 

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