ひろば
第0011回 (2004/12/15)
映画「草の乱」のご紹介(司法書士 水谷英二)
1884年、11月1日、今から120年前、「秩父事件」が起こった。
秩父郡下吉田村の椋神社。陽が落ちてかがり火が焚かれた境内に、竹槍・刀・鉄砲などで武装した秩父困民党、民衆3千余が結集した。「沿道の兵と合し東京に上り、…官省の吏員を追討し、圧政を変じて良政に改め、自由の世界として人民を安楽ならしむべし」これは、秩父事件において蜂起した農民たちの残した言葉である。
当時、明治政府は、デフレ政策の一方、増税政策を強行した。世界的不況の影響もあり生糸輸出も激減し、このため身代限(今でいう破産のこと)の続出と「負債山積の悲況」が出現した。
農民達は惨状打開のため負債据置年賦返済の「高利貸説諭請願」を行ったが、郡役所はこれを受け取らず、高利貸との個別交渉を展開するが、交渉は決裂し、合法的な手段では解決できないと判断した。当時、自由民権運動が秩父でも盛り上がりをみせ、代言人(今の弁護士)田代栄助を総理として農民達が武装蜂起した事件である。秩父困民党は軍隊によって壊滅され、死刑12名他多数の犠牲を伴った。現在、秩父事件は単なる暴動ではなく歴史的に社会的運動としての位置づけがされている。
120年経過した今、社会状況は大変似ているのではないだろうか。ただ、現在は、貸金業規制法、出資法が制定され、利息制限法が確立し、高利貸との交渉ができることである。しかし、これら歴史の中で、闘いの中で、先人、古人が様々な権利を勝ち取っていったことを我々は決して忘れてはならない。そして、大勢の方々に「草の乱」映画鑑賞をお勧めしたい。
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