No.32の記事

私の紳士録ー大石進氏、田原俊雄氏

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ある日の午後事務所の玄関先にバラの花束を抱えた紳士が登場した。「先生大石さんとおっしゃる方が花束をお持ちになって」と声がうわずる節子さん。突然の来客と会っていた私はうきうきと大石さんにご挨拶にいく。執務スペースの棚の上にグリーンがかったうすいレモンイエローの大振りのバラが。

 若葉町事務所の開設お知らせに
「日本評論社が1962年に京橋から須賀町に引っ越した当時、私は若葉町の美容院の2階の四畳半でアパート生活を送り、手ぬぐいと石鹸をもって銭湯に通ったのでした。場所柄アパートの隣組は水商売のお姉さんばかりで、窓先に干された洗濯物もなまめかしく、少しばかり社会勉強もいたしました。いずれにせよ、人生のもっとも活力にあふれた年代を25年送った場所で、懐かしく思います。新宿通りの反対側の荒木町は、かつて布施事務所があって、母が育ったところでもあります。近日、散歩がてらに、すてきな新事務所の前を素通りさせていただきます」
とご返事を下さった。

 先日中田ご夫婦の結婚を祝う会に大石さんも参加されていた。ずかずかと歩み寄る私。「素通りなんてひどいんじゃないですか」困る大石氏。「三叉神経の具合が悪くて失礼・・・」この脅しが利いてやさしい紳士の大石さんは早速のご登場となったのである。三叉神経の方は神経ブロックでなんとか改善したのだそうです。良かったですね。
 
 大石さんは今は日評の代表取締役も辞しただの会長職。「毎日会社に出かけて若い人をからかっているんのです」「給料は大卒の初任給にしてもらっています。その程度しか仕事はしませんから」だって。かこいいね。
 
 今年70才、ピンクのボタンダウンのシャツにレモンイエローのバラのニ。コーヒーをご所望の大石さんに無理矢理自慢の紅茶を飲ませた私は焦って茶葉の種類を間違って講釈をたれてしまったのである。恥ずかしい私でした。
 
 「すてきな紳士ですね」節子さんと礼子さん。ちょとは私を見直してくれたかしら

 そして生け贄がもうひと方。ご近所東京中央事務所の田原先生。「とっておきの1枚」のインタビュウの時つい口を滑らして「今度一杯やりましょ」とおっしゃってしまったのである。もちろん大石さんと同じようにあの会にご出席でした。「あの約束は先生」と詰め寄る私。「そうでしたね」

 ご近所で飲みましてあの四谷バーまでお付き合い願った。そして事務所まで。講釈付きの紅茶となったわけである。田原先生は今年79才。ストライブのシャッでダンディである。博識でやさしい。

 「紳士」というのは「品格があって礼儀にあつい人」を言うのだという。15年後、25年後には、食い意地を克服してそういう人になりたいものである。