JDLAHOMEへHOMEへ

清水雅彦の映画評

第0009回 (2005/05/28)
『Little Birds―イラク 戦火の家族たち―』〜マスコミとジャーナリズムの違い

【ストーリー】
戦火のイラク市民に何が起こったのか。そして、今も続く戦火の中で、イラクの人々はどう生きているのか。取材は2003年3月に始まった。空爆前の豊かなバグダッドの日常、子供たちは、朗らかな笑顔をたたえていた。激しい空爆が始まり、惨禍が人々を襲う。老人や女性、そして子供たち…次々と弱いものが大きな犠牲となっていった。バグダッドへの米軍入城の瞬間をとらえた綿井健陽は、その翌日バグダッド市内の病院で凄惨な状況を目撃し、戦火の中で生きる家族たちにキャメラを向けた。3人の子供を空爆で失ったアリ・サクバン(当時31歳)は、「戦争で人を殺すために、人間は生まれてきたわけではない…」と語る。米軍の非人道兵器「クラスター爆弾」で右目を負傷した12歳の少女・ハディールや右手を失った15歳の少年・アフマド…、様々な家族を描きながら、戦争の「意味」を、日本と世界に問いかける。
(映画宣伝チラシより)


【コメント】
本作品は、テレビニュース番組などでイラク現地からのレポートを行ってきたジャーナリスト・綿井健陽さんの第一回監督作品です。「イラク戦争」開戦前から一年半にわたって取材を行ってきた123時間あまりの映像をまとめたものです。そして、映画にはつきもののナレーションや効果音・テーマ音楽などは一切なく、市民の目線で捉えた映像によって、ただ淡々とイラクの現実を伝えていきます。

時には、ミサイル攻撃後の被害状況の取材中に、イラク市民から綿井さんに「ノーアンサー、ノーアンサー」「ユー・アンド・ブッシュ、お前たちは一緒にイラクを破壊しているんだ」との言葉を投げかけられ、時には、バクダッド制圧直後の米兵に綿井さんが「子どもや市民たちを、これ以上殺さないでくれ」と非難し、また、着々と米軍の作戦が進む中での米兵に「大量破壊兵器はどこにあるんだ」「この戦争の意味は何だ」と質問し、とまどったり、顔を背けたり、「俺にきかないでくれ」と答えて立ち去りながらも何度も振り返る米兵の姿を捉えます。ここにはマスメディアによるアメリカ軍の後ろから遠くの「敵」を撮影した映像にはない緊張感があります。

その日本のマスメディア。サマワの陸上自衛隊宿営地内での定例記者会見の様子が流れます。自衛隊員が宿営地で食べている食事を報道陣に公開し、報道陣の注文に応じて隊員がポーズを取りながら食べるシーンです。これが全く滑稽で間抜け。ポーズを取っている隊員のみならず、とても「戦地」とは思えない雰囲気で、脳天気な質問・注文を行う報道陣。この自衛隊と報道陣のやりとりを、綿井さんは一歩引いた位置から写します。ここには、日本人がイラク人から非難されたり、米兵に戦争の大義を質す緊張感はありません。

綿井さんの主観的な米兵への言葉に、「公平・中立」の観点から批判の声も出るかもしれません。しかし、報道には伝える者の視点や解釈が入り込み、「公平・中立」な報道などありえないのに、自分たちの報道が「公平・中立」だと称するマスメディアの報道は悪質です。ジャーナリストであれば、「社会の木鐸」として権力批判を行うのは使命のはず。しかし、日本のマスメディアは、権力情報を垂れ流す「マスコミ」にすぎません。

綿井さんは言います。「イラクの子どもたちも大人たちも、僕らと同じ『小さな鳥』にほかならない。……『リトル・バーズ』(小さな鳥たち)の声をじっと聞いてほしい……姿をじっと見てほしい。それがあの『イラク戦争』を支持した国に住む、彼らと同じ人間として最低限できることだ。」(映画パンフレット5頁より)



2005年日本映画
監督:綿井健陽
制作:安岡フィルムズ、配給:Project Little Birds
上映時間:1時間42分
全国各地で順次上映(上映日程については、公式ホームページ参照)
http://www.littlebirds.net/

<前頁 | 目次 | 次頁>

このシステムはColumn HTMLカスタマイズしたものです。
清水雅彦の映画評/当サイトは日本民主法律家協会が管理運営しています。