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清水雅彦の映画評

第0016回 (2005/07/13)
『ガラスのうさぎ』〜伝えていかなくてはならない戦争体験

【ストーリー】
江井敏子(9歳、声・最上莉奈)は、東京の本所区(現墨田区)のガラス工場で、父・竹雄(声・原康義)、母・ヒデ(声・竹下景子)、兄の恒夫と行雄、妹の信子と光子と幸せに暮らしていた。しかし、1941年に日本は太平洋戦争を開始。恒夫と行雄は親に内緒で軍隊に志願する。1944年には米軍による空襲が激しくなり、敏子ら3人の子どもは二宮に疎開。1945年に入り、母親が恋しくなった信子と光子は勝手に東京へ帰ってしまい、3月10日の東京大空襲でヒデと信子と光子は行方不明に。敏子と竹雄は新潟で暮らすことにし、二宮駅まで来た時、米軍の機銃掃射により竹雄も死んでしまう。母と妹だけでなく父まで亡くした絶望から、海の中へ向かって歩いていた敏子は波で足をさらわれ、我に返る。「誰が思い出してあげられるの? みんなが生きていたことを……。私は死ねない! 死んじゃいけないんだ!」。そして、敗戦を迎え、敏子は……。


【コメント】
本作品は、高木敏子さんが両親と2人の妹の33回忌である1977年に出版した原作の『ガラスのうさぎ』(金の星社)を映画(アニメ)化したものです。戦争の恐ろしさと平和の尊さを伝える本書は、今日までに210万部以上発行されたとのこと。敗戦から60年が経ち、戦争を知らない世代がますます増えていく中で、日本は海外に自衛隊を出し、改憲論も盛んになってきています。このような状況の中で、あらためて戦争と平和の問題を考えてもらいたい、との熱いスタッフ・関係者の思いがこの映画に結実しました。

映画の中では、教室や街の背景に出てくる「五族共和」や「ぜいたくは敵だ」などのスローガン、金属類の回収や食糧の配給、近所の春喜兄さんの召集と英霊となっての帰宅、学童疎開、戦後の戦争孤児など、当時の生活の様を細かく描写しています。そして、アメリカによる民間人への容赦ない無差別空爆には怒りを感じました。しかし、同じことは先に日本が中国の重慶で行っていることを忘れてはなりません(さらに、あの悲惨な戦争の被害を経験しているはずの日本が、今でもアフガニスタンやイラクで攻撃をする側にいることも。いずれにしろ、戦争の犠牲となるのは指導者ではなく普通の庶民です)。

一方、戦後の描写では、1947年の日本国憲法施行を伝える新聞記事を敏子も買って、「新しい憲法に書いてあるのよ! 日本はもう二度と戦争をしないって!」と喜ぶシーンや、学校での文部省編『あたらしい憲法のはなし』(ただし、本書については、平和主義の記述は素晴らしいのですが、「日の丸」を「国旗」とし、天皇を「日本国民ぜんたいの中心としておいでになるお方」としている「天皇陛下」の章には問題があるので、一部市民団体などに見られる全面的評価には反対です)を使っての授業風景から、当時の人たちが戦争放棄を定めた憲法に接した時の喜びを想像することができます。

そういう意味で、映画制作にお金をかければいいというものではないことがよくわかります。『戦国自衛隊1549』の制作費が15億円。これだけお金をかけても、見た後に何も残しません。しかし、とても15億円もかけていない『ガラスのうさぎ』が見る者に色々な想いを残します。もし信子と光子が駄々をこねていなかったら、もしヒデがもう少し早くに疎開していたら、もし竹雄が駅長に挨拶に行っていなかったら、みんな死んでいなかったかもしれない。生と死の境がほんの僅かで、自分は「たまたま」死ななかったからこそ、死んでいった者の分まで生きなくてはならない。私は何度も涙腺がゆるんでしまいましたが、劇場内のあちこちからは鼻をすする音が。特に本作品は、本当の戦争の悲惨さを知らずに威勢のいいことを言い続ける政治家や若者などに見てほしいと思います。



2005年日本映画
監督:四分一節子
製作:映画「ガラスのうさぎ」製作委員会
上映時間:1時間24分
今後の上映日程については、下記のホームページ参照
http://www.ggvp.net/usagi/

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