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清水雅彦の映画評

第0048回 (2006/05/07)
『Vフォー・ヴェンデッタ』〜圧政に立ち向かう「テロ」は正しい

第三次世界大戦後に植民地となった「元アメリカ」を嘲笑する独裁国家イギリス。そこでは、移住者・イスラム教徒・同性愛者・反体制活動家などのあらゆる「異端者」が排除され、外出禁止令・検閲・監視カメラ・秘密警察・自警団・マスコミ操作によって人々は監視・管理されていた。そこに、ガイ・フォークスの仮面を被った「V」が現れ、中央刑事裁判所を爆破し、TV局の不法占拠や電波ジャックなどを通じて市民に立ち上がることを呼び掛け、「ガイ・フォークス・デイ」に国会議事堂の爆破を計画し……。

本作品は、1980年代のイギリスのコミックを原作に、『マトリックス』3部作監督のウォシャウスキー兄弟が脚本・製作を、同3部作助監督のジェイムズ・マクティーグが監督を務め、「V」を『マトリックス』でエージェント・スミスを演じたヒューゴ・ウィービング、「V」の協力者役を『スター・ウォーズ』新3部作でアミダラ王女を演じたナタリー・ポートマンが演じています。

いやー、やはりウォシャウスキー兄弟が関わる映画はセリフがちょっと小難しくていいですねー。『マトリックス』3部作は哲学的で(実際に青土社発行の『現代思想』2004年1月号で読み応えのある特集を組むくらいです)、好きですが、本作品も「V」が彼の「哲学」を披露します(古典文学や名作映画などからの引用も多い)。「聖人を真似る者こそ悪人である」「小説家は嘘で真実を語る」「罪ある者を探すなら、鏡を見よ」「狼を殺せば狼の言いなりだった羊も自分で考えるようになる」「警棒で抑圧することより、言葉にはパワーがあり、意思があり、自由と正義は勝ち取るものである」「人は滅びても、志は生き続け、その力は永遠に衰えない」「民衆は政府を恐れてはならない。政府こそ民衆を恐れるべきなのだ」(作品プログラム参照)。んーん、興奮してしまう。

ところで、ガイ・フォークスは1605年にジェイムズ一世の圧政を転覆するために国会議事堂の爆破を計画しますが、同年11月5日に議事堂地下で見つかり、拷問後に絞首刑、遺体を四つ裂きにされた人物。これを祝い「ガイ人形」を焼く日が「ガイ・フォークス・デイ」ですが、「V」はフォークスができなかった議事堂の爆破を実現しようとするのです。確かに、「V」は私憤による復讐(vendetta)から政府要人らの暗殺まで行いますが、彼の「爆弾テロ」は圧政の象徴としての建物の破壊であって、この場合は人の殺傷を目的にしていません。その「象徴的テロ」に続いて市民が非暴力で立ち上がるのです。

この映画を見て思ったのは、第39回映画評でも触れた「テロにも報復戦争にも反対」というスローガンです。もちろん、暴力による政治運動はない方がいい。しかし、これまでの市民革命やロシア革命、パレスチナの抵抗運動などを見れば、当事者でない者が高見から安易に「テロ」=悪と決めつけ、「テロ」と「報復戦争」を同列に扱うべきではないと思います。また、抵抗権をどのように評価するのでしょうか。「テロ」に関する議論については、上記スローガンを掲げる人たちより、小林よしのり氏の方がよっぽどまともな議論をしています(私は彼の政治的立場とは異なりますが)。

本作品の原作(アラン・ムーア原作、デイビッド・ロイド作画)は、当時のサッチャー政権批判を意図して書かれたものですが、特に「9・11事件」後に監視をより強化している英米両国や、マスコミの利用の仕方が上手い小泉政権下の日本でも色々と考えさせる映画といえます(国家がカルト宗教団体の「テロ」に見せかけて恐怖政治を行うことも、「不安」をあおる現代社会にとって示唆的です)。是非、今度は舞台をアメリカ、さらには日本に移して続編を「作ってほしい」ものです(売れっ子監督や俳優がこのようなラディカルな映画に普通に関わるアメリカに対して、「純愛系」や「癒し系」の映画で自己満足する日本人監督・俳優には期待できないので、アメリカ人に「作ってほしい」と言わざるをえません。特に市民革命を経験していない日本を舞台にした映画を望みます)。

2006年アメリカ映画
上映時間:2時間12分
http://wwws.warnerbros.co.jp/vforvendetta/
全国各地で上映中

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