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清水雅彦の映画評

第0053回 (2006/06/13)
『バッシング』〜日本社会との「決別」でいいのか

北海道のある町で生活する高井有子(占部房子)は、アルバイト先のホテルで突然解雇される。有子は中東のある国でボランティア活動をしている間に武装グループの人質となり、無事帰国したものの国内で激しいバッシングにさらされ、そのことが職場に悪影響を与えたという。そんな折、今度は有子の父・孝司(田中隆三)も会社への非難メール・電話を理由に退職を迫られる。有子と隆司と継母・典子(大塚寧々)は……。

本作品は、2004年のイラクにおける日本人人質事件をモチーフに、無事帰国した女性が日本国内で激しい「迷惑」「自己責任」の批判に遭う様を描いた作品です。監督・脚本は小林政広、本作品は第58回カンヌ国際映画祭コンペティション部門へ出品されました。しかし、テーマがテーマだけに、国内での公開に時間がかかったようです。

この映画で興味深いのは、有子を高潔な存在としてではなく、頑固で少し癖のある人物として描いている点です。しかし、だからといって映画にあるような勤務先の解雇、コンビニでの嫌がらせ、中傷電話などが許されていいはずではありません。

ただ残念なのは、約六日間という撮影期間の短さによる粗さと一部俳優のレベルの低さ(学芸会ではないんだから)。また、案外と「普通の人」がバッシングする様を、単純に「悪人」としてではなく人間の複雑さとして『クラッシュ』のような描き方があればもっと考えさせるのに。さらに、バッシングが嫌で日本社会と「決別」できるのはある程度お金と自由のある人。人質事件のバッシングに限らず、被支配階級による部落差別や学校内のいじめなど、最も弱い部分が集団的に攻撃される構造を変えていくために、「決別」で解決するのでしょうか。サッカーのW杯程度でにわかナショナリストが急増する日本人気質を考えるためにも、もう一工夫ほしかった映画です(それにしても、白人の真似にすぎない茶髪・金髪の日本人選手を恥ずかしく思わないナショナリストは不思議だ)。

2005年日本映画
上映時間:1時間22分
http://www.bashing.jp/
渋谷・シアターイメージフォーラムなどで上映中
 

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