清水雅彦の映画評
第0059回 (2006/07/31)
『母たちの村』〜意志の強さが因習(女性性器削除)を打破するまで
西アフリカのある村では、昔からの儀式として少女に女性性器削除(「割礼」)を行ってきた。ある日、「割礼」から逃げてきた少女4人がコレ(ファトゥマタ・クリバリ)の下に逃げてきた。コレは「割礼」を受けていたが、そのため2人の子どもを死産し、娘のアムサトゥに「割礼」をさせなかったことを少女たちが知っていたからだ。コレは少女たちを守るために「モーラーデ」(=保護)を宣言して、部外者の立入を禁止する。伝統儀式を妨害するコレに、コレの夫や村長、村の男たちが激怒して……。
本作品は、今年で83歳になるアフリカを代表するウスマン・センベーヌ監督作品。女性性器削除は2000年以上続いているといわれ、現在でもアフリカ連合54カ国中38カ国で行われているそうです。しかし、これはイスラム教ともキリスト教とも関係なく、手術時の失敗による死亡や出産時の胎児の死亡、排泄・性交時の苦痛をもたらしています。この性器削除に、欧米の視点ではなく、アフリカ人の視点から臨んだ作品です。
アフリカが舞台となっても欧米の視点から作られた映画が多いため、このような作品は興味深く見ることができます。一夫多妻制、「モーラーデ」という「罰」を利用した避難制度、語り部の存在、子どもを亡くした女性に子どもをあげることなどもそうです。ただ残念なのは、一部演技力の力不足と、最後に流れる歌の「女の子が生まれたら/ぜひ教育を与えなさい/立派な花嫁になるために」という価値観でしょうか。
とはいえ、本作品は女性性器削除という因習を打破していくためのプロパガンダ映画として大変意味があります。しかも、センベーヌ監督は、フランス語の小説家が出発点ですが、自分の母親に作品を理解してもらうために自分たちの言葉で映画を作り始めた人です。村の男たちが女たちからラジオを奪う行為から、情報の重要さも伝えます。さらに、実際にも「割礼」を受け、子どもを失っているクリバリの演技に引き込まれます。
2004年フランス・セネガル合作映画
上映時間:2時間4分
http://www.alcine-terran.com/main/moolaade.htm神田神保町・岩波ホールで上映中
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