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日記

「孤児」原告、選管に要請

9月2日、大阪、福岡で、それぞれ原告団、弁護団が府、県選管に選挙公報等に中国語でも記載するなど日本語が不自由な中国残留孤児が投票できる環境を整備するよう要請しました。
http://blogs.yahoo.co.jp/genkokusien/10229937.html

「残留孤児」原告、平和之船に乗る(その9)

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8月22日、船は上海に入港し、安達さんはそこで下船して10日間の旅を終えました。

ピースボートに乗船して
     中国「残留孤児」国家賠償訴訟原告 安達 大成

この度、中国残留孤児、被爆者、中国人戦争被害者三事件グループの一員として船に乗せていただきました。
今回の旅で、一番嬉しかったことは、下は女子高校生から上は六五歳の方まで、私の話に熱心に耳を傾けてくれて、残留孤児に想いを寄せてくれたことです。船の中で本当に多くの人たちとお話しすることができました。
そして、今回の旅で改めて実感できたことは、私たち残留孤児だけではなく、日本の植民地政策、軍国主義の被害者が沢山いることです。
韓国ではソロクトを訪れ、日本の植民地支配下で強制的に隔離され、強制労働をさせられて、手を失ってしまった元ハンセン病患者の方と会いました。
また、丹東から乗船してきたチチハル遺棄毒ガス被害者の丁さんとは同じ船室で、私は丁さんの通訳もしました。私は丁さんにその下半身の傷を見せてもらいました。何故、この平和な世の中で、丁さんのような若い人が、日本軍のために被害にあわなければならないのか?
私は、平和に暮らしている今の若い人たちに二度と私たちのような悲しい思いをさせたくはありません。私は、今回の旅で本当に多くのことを勉強することができました。ここで勉強したことを生かして、これからは、残留孤児の被害のことだけではなく、様々な被害者のためにも行動したいと思っています。
(「法と民主主義」2005年10月号原稿より抜粋)

※「法と民主主義」2005年10月号では、今回の旅について特集致します。

「残留孤児」原告、平和之船に乗る(その8-2)

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丁さんは、8月19日に丹東で乗船してから、22日に上海で下船するまで、安達さんと同じ船室で過ごされました。
安達さんは、日本語・中国語の通訳を務められ、日本語の出来ない丁さんに代わって、日本の乗船客に丁さんの被害を訴えました。

※写真は、日本の乗船客からの手紙を中国語に訳してあげているところ

「残留孤児」原告、平和之船に乗る(その8-1)

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8月19日には、チチハル毒ガス被害者の丁樹文さんが乗船されました。

2003年8月4日、黒龍江省チチハル市の団地の工事現場で、旧日本軍が製造・遺棄した毒ガスの入ったドラム缶が発見されました。工事に携わった人々、掘り出されたドラム缶を扱った廃品回収業の人々、掘り返された土が運ばれて来たところの人々と被害は広範に渡り、1名が死亡、43名が病院に運ばれる事態となりました。
丁さんもそのような被害者の一人です。
日本軍が遺棄した毒ガスの被害等については
http://www.peace-justice.jp/ja/
http://www.geocities.jp/dokugas2000/

丁さんは、8月20日には、船内でのシンポジウム“「歴史認識と未来の選択」証言〜日本政府の責任〜”に元日本軍戦時性被害者・李容洙さんとともにパネリストとして出演され、ご自身が受けた被害についてお話されました。

※写真右から2人目が丁さん

「残留孤児」原告、平和之船に乗る(その7-3)

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奉天は旧満州の最大の都市(「満州国」の「首都」は「新京」〔長春〕)です。現在も当時の建物が多く残されていました。

※写真は旧ヤマトホテル
旧奉天市の市街地図と写真等は
http://homepage3.nifty.com/jiangkou/Kiyoshi/shenyang/index.html