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日記

「残留孤児」原告、平和之船に乗る(その7-2)

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「九.一八歴史博物館」には、満州移民関係の資料も多数展示されていました。

「残留孤児」原告、平和之船に乗る(その7-1)

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「勿忘“九.一八”」

8月19日、船は中朝国境近くの港・丹東に入港しました。
「3事件グループ」の一部は、オプショナル・ツアーに参加し、瀋陽を訪れ、世界遺産である瀋陽故宮博物館、九.一八歴史博物館等を見学しました。

瀋陽は清朝発祥の地であり、旧満州時代には「奉天」と呼ばれていた地です。
1931年9月18日、関東軍は奉天駅北方約8キロの地点にある柳条湖付近の満鉄線を自ら爆破しました(柳条湖事件)。これをきっかけとして、関東軍は軍事行動を開始し、奉天等の都市を占領し、ついには「満州国」の「建国」へと至りました(満州事変)。
柳条湖事件は、「十五年戦争」の発端となった事件であり(ただし、満州事変は1933年の塘沽協定で停戦、日中の全面戦争は1937年の「廬溝橋事件」から)、中国「残留孤児」問題の原点ともいえる事件です。中国では「九.一八事変」と呼ばれ、満鉄爆破地点に「九.一八歴史博物館」が建てられています。

「残留孤児」原告、平和之船に乗る(その6)

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8月18日、日韓の乗船者の有志は、ソウルの日本大使館前で共同記者会見を行い、「平和憲法を守れ」とアピールしました。

「残留孤児」原告、平和之船に乗る(その5-2)

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その後、「3事件グループ」はツアー一行と別れ、「アリラン・コゲ(峠)」に向かいました。

原告の安達さんは、1933年、当時日本の植民地支配下にあった韓国ソウル(「京城」)で生まれ、3歳までソウルで過ごされましたが、その地で実母を亡くされました。安達さんは、その後、「満州国」(中国東北部)に移られ、そこで、日本の敗戦を迎え1981年まで中国で過ごすこととなったのでした。まさに、安達さんの半生は戦前の日本の植民地政策と切り離せないものでした。

安達さんが幼いころお父さんから聞いた記憶によると、実母のお骨は「ソウルのアリラン山の麓の日本寺院」に納められているとのこと。そこで、「アリラン山の麓の日本寺院」を唯一の手がかりとして、そのお寺を訪ねることとしましたが、地元の人に尋ねてみると、「アリラン山」ではなく「アリラン・コゲ(峠)」であることが判明しました。そこで、アリラン峠に向かい、いくつかの寺院を訪ねましたが、日本寺院を見つけ出すことはできませんでした。しかし、約70年ぶりにアリラン峠を訪れた安達さんは、その地の土を遺骨代わりとして日本に持ち帰り、仏壇に納めることとしました。

※写真はアリラン峠にあった寺院。これが昔、日本寺院であったのかは不明。
「アリラン」については、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%A9%E3%83%B3

「残留孤児」原告、平和之船に乗る(その5-1)

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8月17日、船は第2の寄港地、韓国・仁川(インチョン)に入港しました。
私たち、「3事件グループ」はオプショナルツアーに参加し、ソウルにあるNGO「参与連帯」、「聖公会NGO大学院」を訪問し、韓国の民主化運動の歴史と現状について伺いました。

※写真は、「参与連帯」元事務所長で、現在NPO「美しき財団」理事の朴元淳(パク・ウォンスン)氏
参与連帯は政府監視活動などオンブズマン活動を活発に行っている市民運動団体で、2000年の韓国の総選挙で「落選運動」を展開したことでも名高い。朴元淳氏は韓国で最も影響力をもつ市民活動家といわれている。
※参与連帯については、「法と民主主義」2000年12月号でも特集が組まれました。