さらば戦争!映画祭
〜人間が始めたものは人間がやめればいい〜
にお越しくださったみなさまへ
さる11月19日、20日に開催いたしました「さらば戦争!映画祭」に、お忙しい中、たくさんの方々にお越しいただき本当にありがとうございました!
映画祭には両日で400名の方々にご参加頂きました。
映画祭を大いに盛り上げてくれた両日の監督トークでしたが、聞いていて楽しく、また興味深い、示唆に富んだお話でした。
「人間の命の尊さ、そこに立ち返らなければいけない。」(ジャン監督)
「人間どもが、何もかも拒否していくことです。」(井筒監督)
どのような形になるかわかりませんが、今後Web上にて一部分でもご紹介させていただけたらと思います。
このたびの映画祭は、初めてこのようなイベントを経験するスタッフばかりが20名ほど集い準備にあたってきました。至らない点も多々あったのではないかと存じます。
特に、チケット購入が不便だった点については、多くご意見いただきました。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。大きな反省点として、今後の活動に生かしていきたいと思います。
また、このたびの映画祭の企画について
「応援しています!」「ぜひ今後も続けて下さい!」
「とてもよい企画でした。ありがとうございました」
「スタッフの皆様、ご苦労様でした」
など、暖かいお声をたくさん頂きました。まずは今回の映画祭を成功させることで精一杯だった私たちですが、ここで満足するのではなく、是非継続的に活動していこうということを、20日の終了時点で確認しました。このように、疲れを感じることなく新たな目標に向かうことができましたのも、こうした暖かい皆様のご声援のおかげでした。
そして今回、鹿児島県、静岡県、京都府、群馬県、栃木県と遠方からお越しいただいた方がたくさんいらっしいました。遠くからご参加いただき、主催者としてこれほど嬉しいことはありません。
さらば戦争!というテーマはあまりに大きすぎたかもしれません。しかしまずは一歩、踏み出すことができたと考えています。どこか遠い国の、知らない誰かの、遥か昔の話ではない“戦争”に触れ、考えることが、私たち自身にとってもかけがえのない経験となりました。
イベントに携わったスタッフ一同、トークゲストの監督の皆様、関係者の皆様、そして会場にお越しいただいた皆様との出会いと感動を生涯忘れることはありません。
皆様本当にありがとうございました。
まずは、「さら戦新聞」第2号を発刊をめざし、時期や内容はこれから検討いたしますが、皆様に喜んでいただけるイベントを開催していきたいと思います。
その際には改めてご案内いたしますので、アイデアやご意見などお寄せいただければ幸いです。
今後とも、「さらば戦争!映画祭実行委員会」を宜しくお願いいたします。
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「さらば戦争!映画祭」実行委員会
http://www.eigasai-60.com/
info@eigasai-60.com
中国・帰国者まつり'05
〜中国「残留孤児」訴訟勝利のために〜
昨年好評だった「中国・帰国者まつり」、今年も開催します!!
東京訴訟もいよいよ来年5月に結審です。
7月の大阪不当判決を乗り越え、勝利を勝ち取るためには、
原告、支援者、弁護団のさらなる団結が必要です。
交流を深め、かつ原告の皆さんを励ましましょう!!
みなさん、お誘い合わせのうえ、ぜひご参加下さい!!
●日時
12月4日(日)PM1:00開会
●場所
東京土建練馬支部会館
東京都練馬区中村北1-6-2
電話:03-3825-5522
○最寄り駅
西武池袋線・都営地下鉄大江戸線練馬駅
※道順
西武池袋線南口、大江戸線A1出口 千川通り(駅前どおり)を西へ
4番目の信号を左折後、2番目の信号を右折
◎内容
原告、支援者による多彩な演し物盛りだくさん!
食べ物・飲み物も用意致します。
鈴木賢士さん(http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/diary.cgi?no=60)の写真展
フリーマーケット
も行います。
●参加費
1000円(帰国者は500円)
●連絡先
〒141-0022東京都品川区五反田1-13-12
五反田法律事務所内
「中国・帰国者まつり」実行委員会
電話/FAX:03-3447-1620
PDFはこちら、分かりやすい地図もあります。
http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/upfile/111.pdf
11月20日(日)、発明会館ホールにて、
「さらば戦争!映画祭」2日目が開催され、約250名の観衆が訪れました。
初日と併せ、延べ約400名の観客を集め、映画祭は成功の裡に無事終了致しました。
お越しいただいた皆様、カンパ等でご協力いただいた皆様
ありがとうございました。
※写真は2日目(20日)監督トークの模様
左より2人目金兌鎰氏、3人目井筒和幸氏、4人目海南友子氏
11月20日(日)には、発明会館ホールにて
以下の作品の上映&トークが行われます。
11:00「あんにょん・サヨナラ」
【監督:金兌鎰(キム・テイル) 共同監督:加藤久美子 2005年】
14:00「にがい涙の大地から」
【監督:海南友子 2004年】
15:50「パッチギ!」
【監督:井筒和幸 2004年】
18:00 監督トーク
井筒和幸氏×金兌鎰氏×海南友子氏
詳しくはこちら
↓ ↓ ↓
http://www.eigasai-60.com/
※写真は19日行われた吉永春子監督とジャン・ユンカーマン監督のトーク
11月19日(土)、明治大学リバティータワーにて、
「さらば戦争!映画祭」が約150名の観衆を集めて盛況のうちに開催されました。
19日の上映作品等は以下のとおりでした。
「乳泉村の子」【監督:謝晋 1991年】
中国残留孤児とは :トーク安達大成氏(中国残留孤児訴訟原告)
「日本鬼子(リーベンクイズ)」
【監督:松井稔 2000年】
「HELLFIRE 劫火−ヒロシマからの旅−」
【監督:ジャン・ユンカーマン 1988年】
監督・トーク
吉永春子氏(『魔の731部隊』吉永春子監督)×ジャン・ユンカーマン氏
※写真は安達氏と田部知江子弁護士
いよいよ、19日(土)、20日(日)に「さらば戦争!映画祭」が開催されます。
19日(土)には、「残留孤児」原告の安達大成さんのトークも予定されています。多くの皆様のお越しをお待ちしております。
詳しくはこちら
↓ ↓ ↓ ↓
http://www.eigasai-60.com/
−カンパのご協力のお願い−
昨年より『法と民主主義』誌上での企画をきっかけに、中国残留孤児国家賠償訴訟弁護団、原爆症認定訴訟弁護団、中国人戦争被害賠償請求事件弁護団の3弁護団では、相互に扱う事件、その加害や被害について学びあう場として学習会を行って参りました。数回の学習会を経て、その加害と被害を終戦60周年である本年に改めて広く伝えようと、このたび映画祭を企画する運びとなりました。
戦争について書かれた本を手に取るよりは、「映画」は親しみやすい媒体だろう。そう考え、「さらば戦争!映画祭」企画が始まりました。世代を問わず広範な市民に、日常では触れることのない戦争の加害、被害について関心をもってもらう絶好の機会であると考えています。
二度と訪れない終戦60周年という節目に、この映画祭を通じて「絶対に戦争はしてはいけない」「今を生きる私たちに無関係の遠い話ではない」ということを伝え、現在水面下で進行する、“戦争を行える国”への備え、戦争の傷跡が深く残る人々の痛み、まさに今この瞬間にも人が命を失っているという悲劇、これら現実にどう向き合うべきかを、戦争を放棄した国の市民である日本の多くの人が少しでも考えるきっかけとなればと願っています。
各弁護団の諸先輩方の拓かれた道をさらに堅固にし平和を実現するべく、未熟ながら私たちもこの終戦60周年に、それなりに熱い使命感を胸に日々奮闘しています。準備金がゼロの状況からこの企画を成功させるために、実行委員一同、日々奔走しております。
本映画祭の趣旨をご理解いただき、カンパのご協力をいただけますよう何卒宜しくお願い申し上げます。
「さらば戦争!映画祭」実行委員会一同
口座番号:00130-8-686075
口座名義:さらば戦争映画祭実行委員会
【連絡先】実行委員会事務局
03-5312-4827 info@eigasai-60.com
11月8日、東京地裁で、原告3名の本人尋問が行われました。
最初に供述を行った菅原延吉さん(写真)は、1945年、ソ連参戦による逃避行の中で母や姉と別れ、中国人の養父母に育てられることとなりましたが、その後養母は養父と離婚して家を出、12歳の時には養父も亡くしました。菅原さんは12歳にして中国の地で再び孤児となってしまった寂しさ、悲しさについて語りました。
また、菅原さんは、文化大革命時代には、「日本帝国主義孝子賢孫」と批判され、日本政府の身代わりとしてその侵略戦争の罪責を負わされ、迫害を受けたことの理不尽、不合理について語り、「60年前に戦争は終わったとされるが、私たち残留孤児の問題が解決しない限りこの戦争は終わらない」と述べました。
2番目に供述を行ったY.Rさん(女性)は日本語で証言を行いました。Y.Rさんは、日本帰国後、生活保護費の中から学費を捻出して日本語学校に通い必死に日本語を身につける努力をしました。それでも日本語能力が不十分なため、Y.Rさんは職場では「外人」と言われ、差別を受けました。Y.Rさんは、「もう少し国が早く帰国させるための措置をとってくれれば、このような思いをせずにすんだのに」とその悔しさを語りました。
最後に供述を行ったY.Tさん(男性)の尋問では、Y.Tさんの母に対して、県の職員が、「帳面がうるさい」(資料の整理がつかない)などと言って「戦時死亡宣告」に同意するようしきりに説得活動を行ったこと、Y.Tさんの母はY.Tさんの生存を信じて最後までそれを拒んだことを、7月20日に放映されたNHK「クローズアップ現代」(http://www.nhk.or.jp/gendai/)の映像を交えながら、明らかにし、Y.Rさんはこのような非情な行為に対する怒りと悲しみについて語りました。
詳しいレポートはこちら
http://spaces.msn.com/members/8888jcbridge/PersonalSpace.aspx?_c=
(中国帰国者二世・三世の会【日中之橋】)
関東訴訟も残すところ3期日となりました。今後の期日は、以下のとおりです。
○2005年12月22日(木)午前10時〜午後5時 原告本人尋問(3名)
※場所:東京地方裁判所103号法廷
※傍聴するには傍聴券が必要です。
傍聴券の抽選は午前9時30分です。
○ 2006年 2月21日(火)午前10時〜午後5時 証人尋問
5月24日(水)午後1時〜 結審
裁判勝利のため引き続きご支援お願い致します。
草思社より、『誰にも言えない中国残留孤児の心のうち』(埜口阿文・著)が発売されました。
http://www.soshisha.com/book_search/detail/1_4794214367.html
中国残留日本人孤児たちは、波瀾の戦後をどのように生きたのか。
そして日本に定住したいま、何を思うのか。
敗戦の日を満州で迎え、中共八路軍の政府機関に採用され、以来三十五年間を大陸で過ごした著者が、三人の帰国・定住者にその半生と心境を聞く。
残留体験者でなければ描けなかった孤児たちの真実の物語。
プロローグ 遠い記憶のなかの吉林の姉弟(「通化事件」の犠牲となった父と母;唯一の証は羽二重のベビー服 ほか)
第1章 義父母(長春の重点大学に入った賢い子;出稼ぎたちの景気のいい話 ほか)
第2章 牧童(梅河口;一時帰国 ほか)
第3章 下放青年(長春;誤算 ほか)
埜口阿文(のぐち・おふみ)氏
1926年佐賀県生まれ。44年、満州電気化学にタイピストとして就職するために渡満。45年5月に家族が佐賀村開拓団に入植。敗戦後、一家で朝陽鎮の日本人難民収容所に送られる。同年11月、中共八路軍の輝南県衛戍司令部に採用。中国にとどまり、国共内戦中は中共の省機関と行をともにする。49年、東北人民政府民政部に配属。52年から3年間、東北人民大学(現吉林大学)付属工農中学で学ぶ。55年、工農中学の同級生と結婚。64年、新設された大連日本語学校(現大連日本語学院)の講師となる。文革中の68年、日本人であることから家宅捜索を受ける。69年から4年間にわたり、明陽人民公社で下放。日中国交成立後、73年に一時帰国。80年、夫と2人の子供とともに日本へ引揚げる。93年〜94年、長春大学外国語学院で日本語を教える。著書に、このときの1年間の日記をまとめた『長春大学教師日記』(小社刊)がある。