これまで、100万筆を目標に取り組んできた「中国残留孤児の人間性の回復を求める請願」署名ですが、2006年3月6日現在、市民連絡会事務局の集計で、累計100万2262筆となり、目標を達成しました。
これまでご協力頂いた皆様、本当にありがとうございました。また、引き続いてのご支援を宜しくお願い致します。
2月28日、福岡地裁で原告27名が追加提訴しました。これで全国の原告数は2155名となりました。
http://blogs.yahoo.co.jp/genkokusien/27274511.html
※全国の提訴状況(最新)はこちら
http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/upfile/36.htm
2月21日、東京地裁において戦前及び戦後の日中関係等に関し、3名に対する証人尋問が行われました。
最初に証言台に立った岡部牧夫証人は、日本近代史、特に1930-40年代の植民地、占領地の研究者。岡部証人は、「満州国」建国の経緯から説き起こし、中国「残留孤児」が発生した歴史的背景とその責任は日本政府にあることを明らかにしました。
次に証言台に立った帝京大学教授の遠藤誉証人は、戦前「満州国」の首都であった「新京」(現長春市)で生まれ、中国の地で日本の敗戦を迎えましたが、父親が中国政府に留用されたため日本敗戦後も中国にとどまり、1950年代になって帰国しました。遠藤証人はこのようなご自身の体験も踏まえ、1950年代当時、中国政府は中国に残留していた日本人を積極的に帰国させる政策をとっていたこと、したがって、当時、日本政府が「孤児」たちに積極的に手を差しのべていれば、多くの「孤児」たちが、1950年代に帰国できたことを明らかにし、それにもかかわらず「孤児」たちの帰国がこれほどまでに遅れたのは日本政府が「孤児」たちの命の重さと尊厳を軽んじたためであることを怒りをもって証言されました。
最後に証言台にたった元朝日新聞政治部記者の古川万太郎証人は、ご自身が取材し、研究されたことを踏まえ、戦後の日中関係を検証してみれば、日中両政府が厳しく対立していた状況のもとでも、日本政府が「孤児」問題に誠実に取り組み、解決する熱意と決意さえあれば、国交正常化実現前でも、「孤児」たちに救いの手を差しのべることは可能であったこと、それにもかかわらず、日本政府はそれをしなかったことを明らかにしました。
これにて、東京訴訟の証拠調手続きは終了しました。
裁判終了後、星陵会館において、裁判報告集会が開催されました。
今後の日程
・4月25日(火)午後2時〜 東京地裁722号法廷
口頭弁論期日
・5月24日(水)午後1時30分〜 東京地裁103号法廷
口頭弁論期日(結審)
※2005年12月22日原告本人尋問
http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/diary.cgi?no=125
※2005年11月8日原告本人尋問
http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/diary.cgi?no=113
※2005年8月31日原告本人尋問
http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/diary.cgi?no=91
2月18日、都内において、日本中国友好協会(日中友好協会)の理事会が開かれ、同協会(伊藤敬一会長)より市民連絡会に対してのカンパの贈呈式が行われました。
同協会には、これまでも100万人署名運動を初めとして、「残留孤児」支援のための様々な取り組みをしていただいています。カンパも昨年に引き続いてのもので、同協会が発行する「中国悠久の旅」カレンダーの収益金の一部が充てられています。
贈呈式に臨んだ市民連絡会事務局長の佃弁護士と原告・田中友子さんは、それぞれ、同協会の物心両面にわたる支援について感謝の念を述べるとともに、今年判決が予想される訴訟の勝訴を勝ち取る決意を述べ、更なる支援をと、訴えました。
日中友好協会HP
http://www.jcfa-net.gr.jp/home/
2月15日の東京地裁における「残留婦人」訴訟判決をうけて、各新聞社は、判決を批判し、あるいは、「残留婦人」らに対するこれまでの国の政策の不備を指摘して、政府・国会に対して「残留婦人」らの救済を図るよう求める社説を発表しました。
※各新聞社の社説はこちら
http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/upfile/138.htm