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最近の日記

満州楽土に消ゆ 憲兵になった少年

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中国「残留孤児」国賠訴訟・原告代表相談役である菅原幸助さんの半生を取材した『満州楽土に消ゆ 憲兵になった少年』(神奈川新聞社編集局報道部 編)が神奈川新聞社から発売されたました(1500円+税)。

「満州での大農場経営を夢見た14歳の少年が、
 40年後に気づいた真実。
 それは“贖罪”の始まりだった。」

この本は、神奈川新聞に「かながわ人間劇場」シリーズの第3弾として、2004年9月14日から10月13日まで39回にわたり掲載された記事に加筆・訂正されたものです。

「 井上ひさし氏絶賛!
 掲載中から熟読しておりました。
 このような人物がおいでくださると知って、
 日本人であることに誇りを持つことができます。
 丹念な聞き取り、周到な取材、
 そして平明でありながら品格のある文章。
 取材チームの力に脱帽いたします。」(同書帯より)

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31574953
http://bookwebpro.kinokuniya.co.jp/imgdata/large/4876453667.jpg

「大地の子になった日本人」、「二つの祖国を生きる」

8月13日(土)午後10時10分〜11時00分(BS1)
NHK BSドキュメンタリー
「大地の子になった日本人」(仮)が放映されます。

[番組案内]
 敗戦の混乱のなかで旧満州、現在の中国東北部に取り残された中国残留孤児のうち、これまでに3500人以上が帰国を果たした。しかし、その一方で、300人以上が中国に残る道を選択した。その多くは、肉親が判明した人たちだが、肉親から、同居を拒まれた者、帰国するよう説得されたが、養父母の面倒をみるために断念した者などさまざまである。
 戦後60年を経た今、彼らは、二つの祖国をどのように自分のなかにおさめようとしているのか。これからどのように中国で生きようとしているのか。
 中国に残る4人の残留孤児を取材、大地のなかで生きる彼らの内面に迫る。
http://www.nhk.or.jp/summer/84.htm


同じく 8月13日(土)午後10時15分〜10時55分
NHKラジオ第一放送で、
「二つの祖国を生きる〜残留邦人家族の戦後60年〜」が放送されます。

[番組案内]
 戦後60年。満州開拓団として中国に渡り、終戦間際の混乱で取り残された残留邦人。これまでに永住帰国した人は、関係者も含めて2万人に達する。しかし、日本での生活は、「夢」とは程遠く困難を極めた。彼らの多くは、今70歳を超える。日本語が満足に話せず引きこもり、生活保護に頼った生活を送る。そんな孤児一世を支えているのが、二世、三世たち。あるものは医師として、またあるものはビジネスマンとして活躍する。「祖国はどこか」そんな悩みを持つ彼らのよりどころは、「家族」。二つの国の狭間で翻弄された残留邦人と、それを支える二世、三世の動きを追い、「二つの祖国に生きる残留邦人家族」の戦後60年を見つめる。
http://www.nhk.or.jp/summer/116.htm

「父母の国よ−中国残留孤児たちはいま」 鈴木賢士(写真・文)

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 長らく「残留孤児」問題の取材に当たられてきたフォトジャーナリスト鈴木賢士さんの著書『父母の国よ−中国残留孤児たちはいま』(写真・文 鈴木賢士)が大月書店より発売になりました(1470円+税)。
http://www.otsukishoten.co.jp/new/index.htm

 普通の日本人として、人間らしく生きたい。祖国日本に帰国した中国「残留孤児」2500人のうち約8割が、全国で国を訴える裁判を起こしたのはなぜか。「孤児」たちの帰国後の姿を、一軒一軒訪ねて撮影したドキュメントです。是非お買い求め下さい。

【目次】
◇はじめに
1 中国残留孤児たちはいま
2 旧満州の荒野に捨てられて
3 余りにも遅すぎた帰国
4 残留孤児・残留婦人の証言
 予防注射で半身不随に/「父母の霊位」に手を合わせる/三回売られた残留婦人/文化大革命ショックで養父母・妻が死亡
5 ついに立ち上がる
6 自国民の戦争孤児を救えない「大国日本」
 中国残留孤児発生の背景/「三度捨てられた」孤児たち/北海道から鹿児島へ−全国に広がる提訴の波/「二度と残留孤児を生み出すな」
◇用語解説
 満州事変/関東軍/満蒙開拓団/ソ連参戦/文化大革命/日中国交回復
◇中国残留孤児・残留婦人関係の略年表
◇あとがき

鈴木 賢士(スズキ ケンジ)
フォトジャーナリスト。1932年東京都に生まれる。戦争で千葉県に疎開し、県立成東高校卒業後、家業(靴店)を継ぐ。戦後、店を東京に移し、30歳で東京経済大学に入学・卒業。雑誌記者生活30年。50代の終わりから現代写真研究所に通い写真を学び、戦争がもたらす不条理を一貫して追求してきた。日本リアリズム写真集団(JRP)会員。
1999年、公募写真展「視点」新人賞受賞。2000年、「週刊現代ドキュメント写真対照」海外フォト・ルポ部門賞受賞。2001年、「視点」奨励賞受賞。2003年8月15日、韓国KBS放送で「鈴木賢士の『韓国のヒロシマ』」放映。
著書『フィリピン残留日系人』(草の根出版会、1997年)『韓国のヒロシマ』(高文研、2000年)『中国人強制連行の生き証人たち』(高文研、2003年)

※鈴木さんにはリーフレットに写真を提供いただくなど(http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/upfile/1.jpg)「残留孤児」訴訟・支援に大変ご協力いただいております。

※「孤児」たちの今は
http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/diary.cgi?no=69

※「残留孤児」の原点を訪ねて
http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/diary.cgi?no=62

そのとき歴史は動いた

8月3日(水)21:15〜21:58
NHK総合「そのとき歴史は動いた」で、以下の番組が放送予定です。

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シリーズ終戦60年
ソ連参戦の衝撃
〜満蒙開拓民はなぜ取り残された〜

その時:昭和20(1945)年8月9日
出来事:ソ連が参戦
 ソ連軍は日ソ中立条約を破棄し、戦車5千台、兵員157万人の圧倒的戦力で当時日本の支配下にあった満州国(現在の中国東北部)に侵攻した。満州を守備していた日本軍は敗退。100万人を超す日本人居留民が戦闘に巻き込まれ、多数の犠牲者がでた。またこの侵攻は、シベリア抑留や中国残留孤児の問題を生むことになる。様々な史料や証言から、ソ連対日参戦が引きおこした悲劇を描く。

http://www.nhk.or.jp/sonotoki/sonotoki_yotei.html

中国残留孤児を支援する国会議員の会・初会合

7月27日、「中国残留日本人孤児を支援する国会議員の会」による初会合が衆議院第二議員会館で開かれました。

報告はこちら
http://www.geocities.jp/genkokusien/7.27giinkai.html
(京都原告団 二・三世のホームページ)