日本民主法律家協会

法と民主主義

▶バックナンバー一覧はこちらから

法と民主主義2018年6月号【529号】(目次と記事)

特集★性の尊厳をとりもどそう
◆特集にあたって………編集委員会・小沢隆一
◆セクシュアル・ハラスメントの現状と課題………戒能民江
◆職場のハラスメントの法規制………内藤 忍
◆セクシュアル・ハラスメントとメディア──行動を起こした女性たち………明珍美紀
◆麻生財務大臣の言動とその裾野………角田由紀子
◆女性たちは何と闘っているのか~マタニティ・ハラスメント裁判原告女性の経験に着目して………杉浦浩美
◆刑法・強姦罪規定改正の意義と課題──「女性に対する暴力」根絶ツールとしての刑法を………谷田川知恵
◆旧優生保護法による強制不妊手術・謝罪と補償を………新里宏二
◆性的マイノリティと人権──LGBT/SOGIという概念が問いかけること………谷口洋幸
◆性の商業的搾取──規制が遅れた最後の性暴力?………中里見 博


司法をめぐる動き・森友文書「改竄」不起訴を考える──検察官司法の闇………宮本弘典
司法をめぐる動き・5月の動き………司法制度委員会
メディアウオッチ2018●《取り込まれる視点・麻酔的逆機能》問われる「壊れる社会」への視点 平和構築に消極的、非核時代への展望を………丸山重威
あなたとランチを〈№37〉………ランチメイト・渕上 隆先生×佐藤むつみ
改憲動向レポート〈№5〉改憲派とお金持ちに有利な「改憲手続法」をめぐる政治や法律家の動向を中心に………飯島滋明
インフォメーション
時評●今こそ納税者権利憲章の制定を………望月 爾
ひろば●「いま」を学ぶ、子ども・若者………佐々木光明


性の尊厳をとりもどそう

◆特集にあたって
 本特集の企画は、執筆者の方々に次の文を送り、原稿を依頼した。

 財務省次官の女性記者に対するセクシャル・ハラスメント(セクハラ)、狛江市長の職員に対するセクハラなど、政治と官僚の世界でのハラスメントが続発している。それにまつわる周辺の不謹慎な発言や対応から察するに、おそらく「氷山の一角」であろう。男女雇用機会均等法(均等法)制定から三〇余年、「なお、これでもか…」という憂うべき現実がある。それでも、勇気ある人々が声をあげ、裁判に訴え、政治を動かしてきたことも紛れもない現実である。さまざまな要求、多様な声が、「性の尊厳をとりもどそう」という合唱として響きあう時代に確実になっている。いまこそ声をあげよう。歌声よ起れ(=怒れ)。

 性、セクシャリティ、ジェンダー、男女共同参画社会などの言葉に関わる社会事象(政治も当然含まれる)における「モラル」の甚だしい底抜け状況が、私たちの眼前にある。その深刻さは、前号特集の「ウソとごまかしの政治」に優るとも劣らない。しかし、それらに涙し嘆いてばかりで終わるわけにはいかない。依頼文の「〆の言葉」は、企画側のせめてもの決意表明であり、叫びである。

 「モラルの底抜け」とは言うものの、これまでの「モラル」すなわち性道徳が賞賛されるべきことを意味しない。それは、前号の「ウソとごまかしの政治」が、戦後日本の政治が行き着いた先の現在形であることと似ている。近代以来の、否それ以前からでもある男性中心の「二重基準」的な性道徳は、コード(規範)化され、権力による強制をともなう法の中に定着し、そうして構築された強固な「性支配」のシステムに対して、ジェンダー(法)学は、果敢に挑んできたし、今も挑み続けている。
 それは、なお十分ではないとはいえ、次のような努力によって着実に成果をあげてきた。均等法や男女共同参画基本計画などに基づくセクハラ、マタニティ・ハラスメント(マタハラ)防止対策(戒能民江論文、内藤忍論文、杉浦浩美論文参照)、その背景にある数々のセクハラ、マタハラを告発する裁判の取り組み(角田由紀子論文、杉浦論文参照)、DV防止法(戒能論文参照)、刑法・強姦罪規定の改正(谷田川知恵論文参照)、旧優生保護法による強制不妊手術に対する訴訟提起(新里宏二論文参照)、性的マイノリティの権利への理解の広まり(谷口洋幸論文参照)、海外で進む性の商業的搾取の告発と規制(中里見博論文参照)。
 現在の性にまつわる「モラルの底抜け」状況は、これらへのバック・ラッシュとしての意味ももつであろう。

 ここで用いている「挑む」という言葉は、抗(論)争的意味合いを含んでおり、決して穏やか(和やか)な表現ではない。しかし、この言葉をあえて用いることでしか精確に言い表すことができないほどに、既存の性のモラル(そこにおける二重基準)や性をめぐる支配の構造と、ジェンダー論がめざす支配や抑圧のない平等な地平との間には隔絶がある。本企画の各論稿が示す既存のモラルや秩序に対抗する大胆な問題提起は、そのことを示していると見るべきである。
 たとえば、近代立憲主義の下での人権の理念は、「たとえ唯一人になっても個人としての権利を主張しよう。それが『基本的人権の尊重』の本質なのだから」と説く。あるいは、「人権とは、本来的に国家権力(からの侵害)に対して主張し、抗するためのものであって、社会の中の他の人々に対抗するためのものではない。ましてや『親密な人々』に対してなぞ…」とも説かれる。
 しかし、こうした人権理解は、セクハラやDVなどに代表される性支配に抵抗する上で、当事者にあまりにも過重な負担を強いるものとなる。また、この支配を克服する上でとりわけ必要な加害の根絶(加害者は多くの場合、隣人や「親密圏」内の人)と、それに向けての人々の協力や連帯の結節点を見失わせるおそれがある。もちろん、人権の近代的理念は貴重であり、固有の重要な意義があり、今でもかつ将来にわたって維持、高唱されるべきものである。しかし同時に、その射程の限界や狭さも認めねばならない。

 性をめぐる支配に押しひしがれ、屈従に耐え忍んできた人々は、常に「孤独」であった。その人々に対して「なお孤高であれ」と、誰がいかなる資格で求めることができようか。その人々の生とその苦しみに心を寄せる者には、ともに涙して苦しみに共感しつつ寄り添い、それでもなお前を向いて歩もうとする姿を後ろからあるいは両脇で支えて励まし、さらにはより大きな人々の輪を協働して作り出していくことが求められる。それは、とりわけ法律家をはじめとした各種の専門職(プロフェッション)の任務である。
 日本国憲法九七条の「この憲法が…保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて…」というくだりは、それを謳っていると読まなければならない。たとえそれが、近代立憲主義的な人権理解の「読み替え」になろうとも。
 性をめぐる今日的支配の状況を打開するカギは、「性の尊厳をとりもどす」という理念に一人でも多くの人が集い、そして緊密に結びつくことである。短い準備期間で緊急に立ち上げた企画にもかかわらず、その意義を認めて玉稿をお寄せいただいた各執筆者の「熱唱」をしかと受け止め、その共鳴の中に身を置くことから始めよう。
 改めて謳う。歌声よ起れ(=怒れ)。

「法と民主主義」編集委員会 小沢隆一


時評●今こそ納税者権利憲章の制定を

(立命館大学法学部教授)望月 爾
 2015年のOECD(経済協力開発機構)の調査によれば、現在OECD加盟国のうち納税者権利憲章が制定されていないのは9カ国、とくにG7では、日本とドイツのみである。ただし、ドイツは租税通則法により納税者の権利保護規定が整備されている。日本でも、平成23年の国税通則法改正の審議の過程で「納税者権利憲章の策定」の方針が示されたが、結局当時の与野党合意により見送られた経緯がある。
 1980年代に納税者権利憲章を導入した欧米各国は、近年導入から20年以上を経過する中、納税者権利憲章の改定を進めている。フランスは2005年、カナダは2007年、イギリスは2009年、オーストラリアは2010年にそれぞれ納税者権利憲章を改定した。そして、アメリカでも2014年、内国歳入庁は全米納税者権利擁護官の勧告を受けて、「10の権利」からなる新たな「納税者権利章典(Taxpayer Bill of Rights)」を公表した。
 また、最近では各国の税務当局や専門家団体による納税者権利保護の国際的な調和や標準化の動きも進展している。たとえば、アメリカのニーナ・E・オルソン全米納税者権利擁護官は、2015年11月にワシントンDCに、世界22カ国170名にも及ぶ各国の税務当局関係者や研究者、専門家などを招聘し、「第1回納税者の権利に関する国際会議」を開催した。同会議では、国際的な視点から納税者権利保護の意義やあるべき姿、各国の税務行政における納税者権利保護の状況が議論された。2017年3月にオーストリアのウィーンで第2回会議、本年5月に第3回会議がオランダのアムステルダムで開催され、来年5月にアメリカのミネソタ大学で第4回会議が開催される予定である。
 さらに、2015年11月アジア・オセアニア・タックスコンサルタント協会(AOTCA)とヨーロッパ租税連盟(CFE)、信託・相続実務家協会(STEP)の3つの国際的税務専門家団体が共同で納税における公平・公正性の拡大を目的として「モデル納税者権利憲章」を公表した。このモデル憲章は、納税者権利憲章の国際的モデルとして37カ条から構成され、税務調査や徴収、不服申立手続など税務行政手続における納税者権利保護に加え、立法手続や税法上の基本原則、税務行政サービスに関する基準なども定めている。
 そのほか、2013年からEUにおいても、欧州委員会が加盟各国の税務行政の調和や納税者のコンプライアンスの向上、納税者と税務当局との信頼関係の構築などを目的に「欧州納税者権利憲章」の制定も視野に入れた「欧州納税者法」の立法のコンサルテーション・プロセスにあり、2016年11月には、そのモデル法のガイドラインが公表された。
 このような納税者権利保護のための国際的な動きに対して、日本では平成23年の国税通則法改正により、税務調査手続の法定化、更正の請求期間の1年から5年への延長、処分への理由附記の原則義務化などの見直しを行った。しかし、納税者権利憲章の制定をはじめ、税務行政手続における納税者権利保護の面では、国際的に後れを取っている現状がある。
 また、平成29年度税制改正において、国税犯則取締法が廃止され国税の犯則手続に関する規定が国税通則法に編入された。国税犯則取締法は、もともと明治憲法下、国税に関する犯則事件について、その調査・告発・通告処分などの手続を定めた租税犯の取締りを目的とした法律であった。その内容は、裁判所の許可状の必要な強制調査を含み、治安立法としての性格を有する扇動罪を規定していた。そのような法律を十分な議論もなく国税通則法に編入したことは、納税者権利保護の観点からは大きな後退といえる。
 さらに、昨今の報道では森友学園をめぐる一連の事件において、前国税庁長官による決裁文書の改ざんや交渉記録の秘匿や廃棄の指示が取りざたされており、税務行政の信頼を大きく揺るがす事態となっている。
 そのような今だからこそ、納税者権利憲章を制定して、納税者の権利保護を宣言し、納税者と税務当局の信頼関係を再構築するなかで、税務当局内部の組織や意識の改革にも取り組むべきと言えよう。
(もちづき ちか)


ひろば●「いま」を学ぶ、子ども・若者

●いなおり
 そんなに言うなら「客観的な証拠、根拠を示せ」。何だか、最近どこかでよく聞いたような居丈高な物言いである。
 国連子どもの権利委員会(CRC)への「児童の権利に関する条約 第4・5回日本政府報告」(2017・6)の中で、言い放った言葉である。国連CRCは、第3回日本政府報告書への「勧告」(2010)で、日本社会の高度に競争的な環境が子どもの世界におけるいじめ、不登校、子どもの自殺等々の背景となってはいないか、子どもの成長や権利保障のあり方への懸念を示した。それを受けてのくだんの発言である。これまでの政府報告とは若干異なり、種々の政策等をあげて勧告への個別的応答をしつつも、一方で日本社会のあり方への言及に対して、頑なで居直るような応答である。
●「対話」の放棄
 本来、個別の立法や政策の実施状況の紹介を通じて、子どもが置かれている環境について政府の基本的な理解を示しつつ、政府報告審査の場での意見交換・質疑応答によって互いの理解を深めることが、報告審査制度の本旨である。国際人権条約のモニタリング(条約実施の検証)の意義は、基本的に建設的「対話」の姿勢を通じて人権保障の浸透をはかっていくことにある。自らに都合の悪きこと、批判的見解に対しては、説明することなく思考停止の姿勢をとる。どこか、既視感があろう。「共謀罪」法案の審議の過程にあっても、プライバシーに関する国連特別報告者カナタチ氏の懸念と意見に、報告官への尊重姿勢を示すことなく、個人の意見として無視をしたことも記憶に新しい。
 数を力とし、威嚇したり、しらを切る現状(いま)を、子どもたちや若者は学んでいる。子どもや若者の現状を真摯に見つめ、子どもの目線からいま何が必要なのかを探る多様なチャンネルを創出することが必要だろう。
●競争主義的社会
 家族や地域が自分の拠り所になるという実感が薄れ、社会でまじめに働くならひとりでまた家族として安定が得られるという展望や手応えも揺らぐ社会に我々は生きている。現在、家計や生活に不安を抱える人々は7割に及び、稼ぐことが最優先とされるなかで、生き方の拠り所や指針を見出しにくくなってきている。モノや情報、サービスを消費することで豊かさを確かめてきた時代にあって、いま、人々はその消費生活にさえ窮しはじめている。消費社会は、肥大化しながら一方で不安を抱え込み、閉塞感の中で弱い立場にある人々の「疎外」感を増幅させてもいる。
 そしてまた、学校をはじめとした教育、福祉などいわゆる公的空間・機関についても信頼が揺らいでいる。
 一方、いま政府・与党は、家族のあり方への国の積極的介入(「家庭教育支援法案」2017)、地域形成の担い手としての警察等の積極的関与(地域の安心安全条例等)、学校教育への懲罰的対応導入(ゼロトレランス政策)や道徳の教科化による評価導入、福祉の縮小恩恵化の促進など、いわば国家主義的再編を進めている。
●権利の希薄化に抗す
 こうした抑圧的社会の中で求められるのは、子どもの社会的成長、発達を支える環境形成、弱い立場にある人々の人権保障のあり方から検証することであろう。さらには学ぶこと、働くこと、生き方などのあらたな価値観を見いだす政策、法制度が求められる。
 非行などの問題を抱えた子どもの多くは、自分の存在を確認する家族(私的空間)、地域や学校等の公共の空間(場)においても疎外されがちで、いわゆる自分を肯定的に受容する「居場所」を持ちにくかった。子どもの成長発達過程の様々なステージで、子ども期の貧困化、子どもの権利の希薄化にいっそう拍車がかかる。このことに先の「政府報告書」は何も触れてない。
 子どもをはじめ多様な人々が社会的な活動に参加する時間的余裕、学びや立ち直り等々を支えあう関係作り、そうした「共生する空間・場」と価値観を創っていける契機やつながりが不可欠である。

(神戸学院大学 佐々木光明)