2025年1月24日
日本民主法律家協会
いま、日本学術会議(以下、「学術会議」)は重大な岐路に立たされている。
それは、日本の市民社会が重大な岐路に立たされていることを意味する。
法律家(法学者・弁護士など)の団体である日本民主法律家協会は、学術会議の独立性を奪う法律案を政府・自民党が通常国会に提出しようとする企てに対し、強い危機感を表明し、多くの市民とともに上記法案の提出を阻み、政府から独立し、政府に忖度せずに科学的助言をする任務を有する学術会議の独立性を守りたいと考え、この緊急声明を発表する。
2020年10月1日、菅義偉内閣総理大臣(当時)は、学術会議が推薦した105名の会員候補者のうち6名の任命を、理由も明らかにしないまま拒否した。学術会議の長い歴史の中で初めての事件であり、1200を超える学会や諸団体が抗議声明を発出し、国会でも野党議員が連日のように政府を追及した。
このような国民多数の批判をすり替えるように、同年12月自民党PTが公表したのが、学術会議を国の機関から切り離して別法人にしようという案である。「国の機関だから首相に任命権がある。国と別法人にすれば任命拒否は起こらない」という本末転倒の論理であったが、それだけでなく、学術会議を「法人化」した上で政府が学術会議をコントロールできる制度にしようとの企みであった。
上記自民党PTの企みは、2022年12月、内閣府総合政策推進室が唐突に公表した「学術会議の在り方について(具体化検討案)」において、政府の方針として顕在化した。同「方針」は、学術会議に対し、政府と「問題意識や時間軸を共有」することを求め、学術会議会員選考のルールや選考過程に「第三者委員会」を関与させようとするものであり、あたかも任命拒否の正当化・制度化であった。この政府方針に対しては、多数の市民、ノーベル賞受賞者8名、歴代学術会議会長5名、G7各国のアカデミー代表者ら、日本弁護士連合会等が強く抗議するという経緯を経て、2023年4月18日、学術会議総会は毅然として政府に対し法案提出を見送るようにとの「勧告」を出した。これによって、政府は法案提出を断念した。
しかし政府は、学術会議を根本的に変質させる企ては断念しなかった。同年6月の閣議決定で学術会議の「法人化」案について早期に理解を得るとし、同年8月29日、内閣府に「日本学術会議の在り方に関する有識者懇談会」(以下、「有識者懇談会」)を設置し、官僚のリードの下、「法人化」の結論ありきで議論を積み重ねさせた。なお学術会議会長は「オブザーバー」としてのみ参加が要請された。有識者懇談会は、約1年4か月の議論を経て、2024年12月20日、「世界最高のナショナルアカデミーを目指して」と題する最終報告書を公表し、2020年の自民党PT案と同様、「学術会議の法人化」を打ち出し、学術会議に対する政府のコントロールを法制化すべきだとの提案をしたのである。
そして政府は2025年1月24日開会の通常国会で、最終報告書の内容に沿った学術会議法改正法を成立させようとしている。これが現在の状況である。
有識者懇談会の「最終報告書」(以下、「最終報告書」)には、「学術会議を法人化する場合には、独立性・自律性が現在以上に確保されるべきことは言うまでもない」といった美辞麗句が述べられているが、その内容は、これとは正反対に、学術会議の独立性・自律性を奪おうとするものに他ならない。
すなわち最終報告書の骨子は、現在の学術会議が①国の機関でありつつ②科学者の集団として政治権力から独立・自律して政府に対する科学的助言・勧告等を行う組織であるのに対し、これを根本的に変質させ、①学術会議を国から切り離して国が設立する「法人」とした上で、②これまでになかった政府や産業界による監視・介入の多くの制度を法定化しようとするものである。
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最終報告書が新たに法定すべきとする主な制度は、具体的には以下のとおりである。
(1)「選考助言委員会」
学術会議会員以外の委員で構成され、会員選考の方針や手続について意見を述べる委員会。「各会員の個別の選考について意見を言うことは想定されていない」とされるが、その保証はない。また、「新たな学術会議の発足時の会員」は、「新たな会員をオープンに選考する」とされており、結局のところ、会員の選考権を学術会議から奪うものに他ならない。学術会議会長が委員を任命するとされるが、だからといって学術会議の会員選考の自律性が保たれるものではない。
(2)「運営助言委員会」
この委員会も、会員以外の委員で構成され、学術会議の中期的な活動方針、予算案の策定、組織の管理・運営などについて、産業界その他の「ステークホルダー」や、経営、会計、広報の専門家などが学術会議を「サポート」するという。これも会長が委員を任命するとされるが、このような委員会を設置すること自体、学術会議の自律性を損なうものである。
(3)「レビュー委員会(評価委員会)」
主務大臣(内閣府の首長である内閣総理大臣)が委員を任命する委員会である。学術会議の活動や運営が、使命・目的・中期的活動の方針に沿って行われているかなどについて、「ステークホルダーとコミュニケーションをとっているのか」等々を「チェックポイント」として評価するとされている。これは、学術会議の活動や運営に学術の理念以外の要素を持ち込むことになるものである。
(4)「監事」
主務大臣(内閣府の首長である内閣総理大臣)が任命し、「組織が適正に活動しているか、必要なプロセスが踏まれているか、予算執行や財務の状況はどうかなどを見ていく」とされる。これは、会計検査院の会計検査では足りないとして、政府による業務監査まで制度化し、学術会議を政府の統制下に置こうとするものである。
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そして最終報告書は、学術会議に「政策のための科学」への寄与を求め、国の財政支援を行うとしつつ産業界その他による「財政基盤の多様化」も求め、かつ国が予算を出す以上、活動を年度計画に位置付け、その意義・コンセプト・方針・プロセス等を「ステークホルダー」に説明できるようにするよう求めており、学術会議を徹頭徹尾、政府と産業界に従属する組織に改変しようとする意図が明白である。
さらに会員選考に関しては、「会員が仲間内だけで選ばれる組織だと思われないために」との文言をくどいほど繰り返しているが、現在の学術会議が厳格な選考過程を経て会員候補者を選考・推薦し、その過程も公表している事実を完全に無視するものである。また最終報告書は、会員選考の「透明化」が必要であるとも繰り返しているが、新制度はこれを一層不透明にするものである。加えて言えば、いまだに任命拒否の理由すら明らかにしない政府には会員選考の「透明化」を言い立てる資格などない。
学術会議は、1948年制定の「日本学術会議法」(以下、「法」)に基づいて設立され、1949年に活動を開始した国の「特別の機関」である。
学術会議は、「わが国の科学者の内外に対する代表機関」(法2条1項)として、科学に関する重要事項を審議し、その実現を図るなどの職務を「独立して」行うと法文に明記されている(法3条)。「独立」とは、政治権力から干渉を受けないことを意味し、独立した立場から、政府からの諮問に答え(法4条)、政府に勧告する(5条)などの科学的助言を行う権限を持つ。このように、学術会議は学術の立場から対等に政府に意見を述べることを任務とする。
学術会議は、内閣総理大臣の「所轄」とされている(法1条2項)。「所轄」とは、人事院や公正取引委員会など独立性を保障された組織に用いられる用語であり、内閣や大臣からの直接の指揮監督を受けないことを意味する。この一点をもってしても、現行の学術会議が政府からの独立性を強く保障されていることが明らかである。
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学術会議にこのような強い独立性が認められたのは、学術会議が日本の科学者が戦争に協力したことの反省から生まれたことに基づく。そのことは、1949年1月22日の学術会議第1回総会が発した声明が、「われわれは、これまでわが国の科学者がとりきたった態度について深く反省し、今後は、科学が文化国家ないし平和国家の基礎であるという確信の下に、わが国の平和的復興と人類の福祉増進のために貢献せんことを誓う」と述べられていることによく表れている。科学者が政治権力に従属することなく、必要な科学的助言を行うことこそが、平和と人類社会の福祉に貢献する(法前文)という考え方が、学術会議設立の出発点にある。
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学術会議という組織の独立性の根幹は、会員人事の自律性である。法は、学術会議法が「優れた研究又は業績がある」科学者のうちから候補者を選考して内閣総理大臣に推薦し(法17条)、内閣総理大臣はその推薦に「基づいて」会員を任命する(法7条2項)と定める。「基づいて」とは、かなり強い拘束力をもつ法文上の表現である。内閣府令は学術会議が会員を推薦する際、候補者の氏名だけの名簿を提出すると定め、内閣総理大臣に会員選考の裁量の余地を与えていないが、これは学術会議法の趣旨を正確に反映したものである。そして現在の任命方法を定めた1983年の国会では、当時の中曽根康弘首相をはじめ政府側から「内閣総理大臣の任命は形式的」との答弁が繰り返され、これが学術会議法の有権解釈として、会員は学術会議の推薦のとおりに選ばれてきた。このように「会員が会員を選ぶ」方式は「コ・オプテーション方式」と呼ばれ、海外のナショナルアカデミーでは常識とされている。こうした会員選考方式による不都合が問題とされたことは一度もない。それにもかかわらず、2020年菅首相は初めて6名の任命を拒否したが、この任命拒否こそが異常だったのである。
かつて政府に設置された「日本学術会議の新たな展望を考える有識者会議」の2015年3月20付報告書も、「国の機関でありつつ法律上独立性が担保され…政府に対して勧告を行う権限を有している現行の制度…を変える積極的な理由は見出しにくい」と述べている。
学術会議の独立性・自律性は、憲法23条の「学問の自由」によって支えられ、かつ、これを実現するものである。学問の自由は、単に個々の学者の研究の自由だけを保障するものではなく、大学や学術会議などの科学者集団が、政治や産業界などの外部の干渉を受けず、科学者集団自身が決めたルールによって真理を探究し、研究者の業績を評価するといった独立性・自律性・自治を制度的に保障するものである。こうした保障がなければ、学問が学問たり得なくなるからである。
科学者集団である学術会議が、政府や産業界その他の「ステークホルダー」から独立して活動することができなければ、政府や社会に対し、科学的で客観的な提言や勧告を行うことは不可能になる。これは憲法23条を踏みにじるものである。
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このように最終報告書は、何らの立法事実がないにもかかわらず、学術会議から独立性・自律性を奪い、政府と産業界に従属させようとする憲法違反の企みであるが、学術会議が独立性・自律性を奪われることは、学者の世界だけの問題ではなく、日本の市民社会に重大な影響を及ぼす問題である。
政府が誤った道、たとえば無謀な戦争への道を進もうとした時に、科学者が政府に忖度せず反対勧告を行い、市民がその意見を受け止めて、世論形成するといったことができなくなる。学術会議設立の出発点が葬り去られるのである。
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従って、最終報告書を法制化する法律案の国会提出は、市民社会が総力を挙げて絶対に阻止しなければならない。
一部では、昨年12月22日の学術会議総会において、学術会議が「法人化」を容認したかのような報道がなされたが、これはミスリードである。上記総会は、「最終報告」公表の僅か2日後に開かれ、「任命拒否問題を解決しないまま法人化などあり得ない」などの多くの反対意見が出され、十分な審議なしの決議を避けて、結論を持ち越したまま閉会したのである。
政府が学術会議の意見を聴くこともせず法案を作成し、提出することも想定しなければならない。しかし、問題の重大性・深刻さを多数の市民が理解し、学術会議会員と連帯して、「法人化」反対の広範な世論を形成するならば、少数与党の下、政府はこのような法案の提出を強行できるであろうか。法案を提出しても、多数の横暴など通用しないであろう。
現在、学術会議会員の任命拒否理由のわかる文書の情報公開請求に関し、不開示決定の取消と国家賠償を請求する行政訴訟が行われているが、被告国は、そのような文書など作成も取得もしていないとの主張を繰り返すばかりである。いまだに任命拒否の理由も明らかにせず、6人の任命を履行することもしない「不透明」そのものの政府に、学術会議を変質させる介入など決して許してはならない。
私たち日本民主法律家協会は、広範な市民や諸団体とともに、学術会議の独立性を奪う「法人化」阻止に全力を尽くす決意である。
以上