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2006年12月の日記

第2陣訴訟口頭弁論06.12.22(その3)

続いて、坂口禎彦弁護士からは、除斥期間に関する被告国の主張の誤りについての弁論が行われました。

また、米倉洋子弁護士は、原告1052名の生年月日、帰国年月日、判明・未判明の別、生活受給状況等の基礎的データを分析した結果に基づき、グラフ等をパワーポイントで示しながら、原告らの帰国の状況、判明・未判明の状況は、原告ら個人の事情によるものではなく、国の政策によりその運命が翻弄されてきたものであること、その誤った政策の結果である帰国の遅延が、原告らの今日の窮状に直接の因果関係を有する原因となっているということについて明らかにしました。
http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/upfile/217.pdf

その後、原告側から証拠として提出された『祖国よ!償いを〜高齢化する中国残留孤児』(SBC信越放送2005年5月19日放映)のビデオが上映されました。

裁判終了後、原告、支援者、弁護士は東京地裁宛公正判決要請署名59,636筆(累計189,636筆)を裁判所に提出しました。

第2陣訴訟口頭弁論06.12.22(その2)

さらに、原告団代表の宇都宮孝良さんが意見陳述を行いました。その内容は以下のとおりです。

1 私は原告番号1番の宇都宮孝良です。12月1日、残留孤児神戸訴訟について、神戸地裁は、国の責任を認める原告勝訴の判決を言い渡しました。原告が勝ったとのテレビの速報が流れたとき、胸が熱くなり、涙がこぼれました。私たちの長かった苦しみにようやく光が差し込んだと感じました。

2 神戸地裁判決は、「戦闘員でない一般の在満邦人を無防備な状態に置いた戦前の政府の政策は,自国民の生命・身体を著しく軽視する無慈悲な政策であった」と認定した上で、戦後の政府には,可能な限り,その無慈悲な政策によって発生した残留孤児を救済すべき責任があると認定しています。
 私の場合も、父を根こそぎ動員で奪われ、ソ連軍が侵攻してきたとき、母は、当時4歳だった私と姉を連れ、千振から佳木斯まで命がけで避難しました。しかし佳木斯の難民収容所にたどり着いたところで母は体調を崩してしまい、まともな治療も受けられず、母は、そのまま収容所で亡くなり、私は、中国人の養父に引き取られたのです。
 もし、国が、開拓団民の安全を第1に考え早期に避難させていたら、また、父が動員されていなかったら、私たち家族は、日本に引き揚げてくることができたかもしれません。私が中国人の養子となり,中国に留まることになったのは,まさに,「自国民の生命・身体を軽視する無慈悲な政策」の結果に他なりません。

3 また、神戸地裁判決は、自分の本当の親兄弟に会いたい、あるいは、祖国の地に帰還したいという残留孤児の願望は、人間としての最も基本的かつ自然な欲求の発露にほかならない、と述べていますが、私も、養父に引き取られたときから、日本に帰りたい、父や親族に会いたいという思いをずっと抱いてきました。しかし、何の情報もなく、どうすることもできませんでした。 
 1972(昭和47)年、日中国交が正常化し、同時に文革も下火になり、日本人探しを始めました。人づてに佳木斯にも日本人がいることが分かり、残留婦人の一人に手紙を書いて貰い、日本の厚生省に出して貰いました。日本名や家族の名前、出身地などは覚えていなかったので、収容所の名前・場所、母・姉とはぐれた場所、養父母の名前・住所などを書きました。その後も厚生省には何度も手紙を書きましたが、返事は来ませんでした。
 日本大使館にも4、5通手紙を出しましたが、大使館から、整理番号が第5959番であるとの知らせがきただけで、同封されていた調査用紙に必要事項を記入して送りかえしても、それに対する返事はありませんでした。
 その後1978(昭和53)年頃、同じ佳木斯に住んでいる女性の残留孤児の身元が分かったのです。その人も私と同じように父親を捜すために、残留婦人に頼んで手紙を書いて貰って厚生省に出したところ、運良く身元が分かり、父親が見つかったのです。この残留孤児が、同じ原告の一人である森実一喜さんです。
 森実一喜さんは、私より1歳年下ですが、終戦時、母親と一緒に佳木斯の収容所にいたことがあり、またいろいろ話を聞いてみると、私と同じ開拓団にいた可能性があることが分かりました。
 そこで、森実さんの父親だったら私のことについて何か知っているかもしれないと思い、わらにもすがる思いで、残留婦人に頼んで、森実さんの父親に手紙を書いて貰ったのです。そのとき私が11歳くらいの時に撮った写真を入れておきました。
 この写真が決め手となりました。森実さんの父親は、その写真を見て私が宇都宮孝良であると思ったそうです。
 その後、森実さんの父親から手紙が届き、私の名前や家族のこと母の実家の住所などを教えてもらいました。
 こうして、私の身元が分かり、1981(昭和56)年の第1回訪日調査に参加し、翌1982(昭和57)年3月17日、家族と一緒に帰国することができました。
 国は、当初、身元の分からない孤児の帰国を認めない方針をとっていました。そのため、帰国するには、自分の身元を証明しなければなりませんでしたが、国は、私の身元調査のために殆ど何もしてくれませんでした。私は、森実さんのおかげで運良く身元が判明しましたが、それでも10年近くの歳月がかかりました。もし、国が、孤児の身元調査を積極的に行い、身元の判明・未判明にかかわらず、帰国を希望する孤児を何の制限も設けずに帰国させるという方針をとっていれば、私は、どんなに遅くとも日中国交回復直後に帰国することができたはずです。神戸地裁判決は「日中国交正常化時に若くはなかった残留孤児の帰国をいたずらに遅らせ、残留孤児の高齢化を招き、残留孤児が日本社会に適応することを妨げたのであり、残留孤児に対する政治的に無責任な政府の姿勢は強く非難されて然るべきである」と述べていますが、正に私はその実例に他なりません。

4 また、帰国してからも国は、私たちに対し、殆ど何の援助もしてくれませんでした。当時は定着促進センターなどなく、私たちは、愛媛県西宇和郡三瓶町の町営住宅に住むことになり、私は、近くの浜田電機工場に勤め、船舶の修理の仕事に従事しました。しかし、給料も安く、他に仕事は見つからず、なんといっても日本語を習うところがなかったのが困まりました。
 そこで、1983(昭和58)年2月頃、友人の太田昇さん(佳木斯に住んでいた残留孤児)を頼って、東京に出ることにし、江戸川区平井の民間アパートに移り住みました。職安の紹介で、理研金属工業鰍ノ勤め、新小岩の電車修理工場で働き、夜は、小松川中学校で開いている日本語夜間学校に通いました。2年間ここで日本語を習いましたが、簡単な日常会話はできるようになっただけで、複雑な会話は今もできません。日本語ができないために職場内でもいろいろな差別を受けてきました。
 神戸地裁判決は、「拉致被害者が自立支援を要する状態となったことにつき,政府の落ち度は乏しい。」「これに対し、残留孤児が自立支援を要する状態となったのは政府の措置の積み重ねの結果であるから」、残留孤児に対する自立支援策が、拉致被害者に対する支援策よりも貧弱でよいわけがない、と判断しました。
 しかし、国は、私に対して、日本語学習支援、就労支援を全く行わず、その後の孤児に対する支援策も拉致被害者に対する支援策に比べて極めて不十分なものでした。

5 神戸地裁判決は、私たちの訴えに耳を傾け、国の責任を明らかにしました。現在、全国に約2200名の原告がいますが、みな神戸地裁判決に確信を持ち、全国の代表数百名が東京に結集して、12月1日から、連日、国会議員を訪ね、この意見書の末尾に添付したパンフレットを渡して、中国残留孤児問題の全面解決を訴えてきました。同時に、厚労省前に座り込み、この判決を踏まえ、首相や厚労省に対し、私たち孤児が老後を安心して暮らせるよう政策を作って欲しい、そのために私たちとの話し合いに応じて欲しいと、連日訴えてきました。しかし、厚労省は、私たちとの話し合いに応じようともせず、12月11日、不当にも控訴をしてしまいました。
 私たちは、終戦時に国から見捨てられ、その後も長い間放置され続けてきましたが、今回の控訴で、国から再び切り捨てられたという思がします。どこまで私たちを苦しめれば、国は満足するのでしょうか。
 原告団は,みな高齢になっています。今は生活保護に頼らず頑張っている孤児も、働けなくなれば、生活保護に頼らざるを得なくなってしまいます。現在、孤児が置かれている現状では、社会的地位も、人権も、自由もありません。
 私たちに残された人生は長くはありません。裁判官の皆さん、苦労に苦労を重ねてきた「孤児」たちが、せめて祖国での老後を安心して暮らせるようにして下さい。そのために、ぜひとも、神戸地裁判決を超えるすばらしい判決を出していだき、1日も早く中国残留孤児問題を全面的に解決できるようにしてください。
 このことを、強くお願いして、私の意見陳述を終わります。

第2陣訴訟口頭弁論06.12.22(その1)

 12月22日、東京地裁で第2次訴訟以降(原告1052名)の訴訟の口頭弁論が開かれました。

 原告側より、まず、斉藤豊弁護士が、12月1日神戸地裁が下した原告勝訴判決の法律上の意義と本件訴訟との関係について意見陳述を行いました。
http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/upfile/214.pdf

 続いて、小野寺利孝弁護士が以下のとおり、意見陳述を行いました。

1.神戸地裁12.1判決の受けとめ
 裁判官の皆様は、神戸地裁12.1判決をどのように受けとめられたでしょうか。
 私は、先ず、この間の諸々の活動をとおして知った「孤児たち」の、そして「世論」と「政治」が「神戸地裁判決」をどのように受けとめたかについてご紹介したいと思います。
⑴ 孤児たちの受けとめ
@ 大阪地裁大鷹判決の克服という全国の孤児の期待を一身に背負って判決に臨んだ神戸訴訟原告団長初田三雄さん(12月4日PM4:10〜厚労省記者クラブでの発言、甲総158の7でその生活ぶりが詳しく紹介されている。)
「その判決を聞いた後に暖かい血液が全身を流れたという思いでした。そのとき初めて、国民や政府が、私たち孤児を日本人としてやっと受け入れてくれたと思いました。」
A 昨年7月不当な大鷹判決以来、勝訴判決めざし必死になって闘い続けてきた大阪訴訟原告団長松田利雄さん(12月7日大阪高裁更新弁論での意見陳述)
「神戸地裁で、私たち孤児は、初めて光を見ました。この判決は、孤児たちを初めて「日本人」として認めてくれたのです。」
B 全国で最初に裁判闘争に立ち上がった東京訴訟原告団代表であり、全国原告団連絡会議の代表でもある池田澄江さん(12.1司法記者クラブ、12.4厚労省記者クラブでの発言)
「とてもうれしい判決。日本人に生まれて良かった。祖国に帰ってきて良かったと言える。」
「この判決は、61年も凍った心を溶かしてくれたようです。未来を生きていく光も見せてくれました。この判決は、私たち孤児の大きな精神的支えです。」
 以上紹介した3人は、いずれも全国訴訟原告団の中心的な存在です。その受けとめ方は、全国の孤児原告の共通のおもいを表しています。
私たちは、「初めて日本人として認められた」「日本人としてやっと受け入れてくれた」「凍った心を溶かしてくれた」という喜びに共感しつつも、帰国した孤児たちが、今日の今日まで、「普通の日本人として生きることが出来ない」という極限状態に追い込まれ、苦悩してきた厳しい現実を改めて痛感させられた次第です。
⑵ 世論の受けとめ
 神戸地裁12.1判決は、1地裁の判決としては極めて異例とも言えるほど大きく報道されました。
中央各紙の夕刊トップ記事をはじめ全国各地方紙も、「中国残留孤児、国に責任−帰国遅らせ、支援怠る」と大きく報道しました。これらの報道は、判決骨子・要旨を掲載し、国が主張する戦争損害論を否定したことも含めてその内容を判りやすく解説しています。NHKはじめ民放各局も全国的にこの判決をトップニュースとして報道をしています。
 その後も、朝日・毎日や東京はじめ全国各地方紙など17紙が、社説を掲げました(甲総157の1〜17)。これらの社説は、判決が国の無慈悲な政策で「孤児」に過酷な犠牲を強いたことについての法的責任を厳しく認定したことを評価し、さらには、あえて「生活保護とは別の給付金の制度が必要」と指摘した点をも積極的に受けとめ、その多くが、国に対し人間の尊厳を回復するにふさわしい新たな支援策の確立を求めています。
(注)なお、この判決報道は、中国・台湾・マレーシアのアジア各紙が報じただけでなく、ロイター・AP・BBCなど海外のメディアが判決を取り上げています。この判決が認定した北東アジアに対する植民地支配という負の遺産について、自国民に対する戦後責任さえ克服できていない今日の日本という国の在り様に改めて厳しい視線が注がれたのです。
 これら一連の報道の力もあいまって、神戸地裁判決を機に「国の無慈悲な政策」が中国残留孤児たちの人らしく生きる権利を今日なお奪い続けているという国民的な認識が一気に拡大しました。私たちは、この間の活動をとおして、かかる悲劇の一日も早い克服を求める世論が大きく形成されてきたのを肌で感じています。
⑶ 政治の受けとめ
 神戸地裁判決は、政治との関係でも私たちの想定していた以上の威力を発揮しました。
@ 12月1日夜、安倍首相は、記者から判決をどう受けとめたか問われて、「残留孤児の皆さんは、高齢化が進み、長い大変な苦労があった。国としても、きめ細かな支援を行わないといけない。」と述べ、支援策の検討を表明しました。
(注)首相は、12月4日参議院決算委員会で山本孝史議員の質問を受け、同趣旨の答弁をしています。
1地裁の1事件の判決直後に、首相が判決をどう受けとめたかについて発言すること自体、他に例をみない極めて異例な出来事です。
 しかし、厚労省は、この首相談話の直後から、従来の政策の枠組みの中での「きめ細かな支援」を模索し、政治的に決着つけることを探りはじめました。柳沢厚労大臣は、当初は、「総理発言の線に従って具体的な対応策を考えていかねばならない。」とあたかも首相談話に呼応した新しい施策をとるかのような姿勢を示した(12月5日参議院厚生労働委員会福島みずほ議員の質問に答えて)が、その後に、「従来よりもさらに実情に配慮した支援策を実現していきたいということで、現在財務当局と折衝している。」(12月12日参議院厚生労働委員会辻泰弘議員の質問に答えて)と首相発言を従来の施策を単に拡充するという方向に歪曲しました。
最終的には、神戸地裁判決を不服として12月11日大阪高裁へ控訴するとともに、厚労省は、「孤児たちが求めている新たな給付金の創設については考えていない。」(12月12日厚労大臣記者会見)と孤児や世論の要求を拒絶する姿勢を鮮明にしたのです。
A 他方で、このような厚労省・政府の姿勢を批判する国会議員たちの神戸地裁判決後の動向は、極めて注目に値します。
 全国の孤児原告団と弁護団は、神戸地裁判決を契機として孤児への新たな支援政策を政治の責任で確立するよう要請してきました。神戸地裁判決が国会議員たちに対して放った威力もまた実に大きく、野党各党だけでなく、与党の中からも厚労省の過去の政策に固執してその誤りを認めないことへの批判の声が上がり、孤児たちの「全面解決要求」への理解と支持が急速に拡がっていきました。
その中でも、注目されるのは、去年7月大阪地裁大鷹判決を契機に結成された自民党と公明党による中国残留孤児プロジェクトチーム(PT)の活動です。
(注)与党PT座長野田毅(自民、元自治相・建設相等)、副座長漆原良夫(公明、国対委員長)
この与党PTは、神戸地裁判決を正面から受けとめたうえで、12月13日官邸に対し次の2点の実行を申し入れています。
1.自立支援法を改正し、生活保護制度によらない、孤児を対象とした新たな給付金制度を創設すること
2.残留孤児問題の全面解決要求をするために、政府は、原告と継続的に協議する場を設定すること
与党PTは、この2点についての首相の決断を促すために必要な努力をこれからも尽くすことを孤児たちに約束しています。
(注)野党は、社民党(12月12日)、共産党(12月18日)が孤児原告団と弁護団からヒアリングを行い、民主党は来年1月中旬ヒアリングを予定しています。各党とも私たちが政府に提出している「中国残留孤児問題の全面解決」要求を支持し、その実現のために活動することを表明しています。
B かくして、神戸地裁判決は、政治の世界でも中国残留孤児問題を重要な政治課題に一気に浮上させただけでなく、厚労省の無慈悲な姿勢を批判する世論と相まって今日なお官邸と厚労省の間で、さらに政府と国会議員・政党との間で、「どのように政治的解決をするか」をめぐって検討することを今日もなお迫り続けているのです。

2.神戸地裁判決を受けとめた「孤児」たちの活動
 中国残留孤児訴訟は、現在、14地裁と大阪高裁2件、合計2201名の孤児原告によって闘われています。この原告たちは、全国原告団連絡会を結成し、「全面解決要求」(別紙のとおり)を全国統一要求として掲げ、その実現をめざして共同行動を続けています。従って、裁判を闘う孤児たちにとっては、裁判での賠償請求の獲得自体が自己目的ではありません。大半の孤児を生活保護に追い込む国の貧困な孤児政策が違法であるという司法判断を獲得することによって、国に「謝罪」させるとともに、何よりも「孤児を対象とした新たな給付金制度の創設」を軸とする新たな支援政策の確立を実現することが目標なのです。
 それだけに、神戸地裁判決は、全国の孤児たちに今日も続く誤った貧困な政策を抜本的に変える威力をもつ強力な武器を与えたことになります。
 事実、神戸訴訟原告団を先頭に全国から結集した「孤児」たちは、「神戸地裁判決」を高く掲げ、12月1日から12月14日まで東京都下を中心に「全面解決要求」の実現を求め、連日実に活発な活動を繰り広げました。
冬に入って一段と冷え込む中、連日早朝から霞ヶ関に結集し、厚労大臣との話し合い解決を求めて厚労省前の歩道に座り込み、あるいは首相官邸前で首相との面談を求める横断幕を手にして立ち続けるアピール行動を行いました。更には、国会議員を訪問しての要請行動・院内集会、そして12月7日孤児600名が参加した力強い国会請願デモ等、国会議員へ働きかけて政治解決めざす活動を次々と行いました。また霞ヶ関はじめマリオン前や浅草・蒲田・池袋、さらには神奈川・千葉・埼玉で街頭に立って市民へのビラによる連日の宣伝活動を繰り広げ、世論をより拡げる活動も続けました。
 この間、全国からこれらの活動に参加した孤児の数は、延べ3038名にのぼりました。7日間に及んだこの街頭宣伝で市民に配布したビラは、日々内容を更新し、実に2万枚にもなりました。これらの「孤児」たちの活動は、私たち弁護団の当初の予想をはるかに大きく超える実に活発なものでした。
 これ以外に、神戸をはじめ全国各地で記者会見・集会・街頭宣伝・地元出身国会議員への要請行動等、東京での統一行動に呼応した多彩な活動が各地裁の孤児原告を中心に「全面解決要求」の実現めざして取り組まれました。
 前述した政治の動向は、神戸地裁判決の威力がもたらしたものであるとともに、実は、このような全国の孤児たちの統一した力強い持続的な活動が突き動かしたものです。
 私たちは、この神戸地裁判決を手にして生き生きと活動する孤児たちを日々間近に見て、「正義を貫いた判決が、いわれなき差別と不合理な縛りに拘束され喘吟してきた人々をその差別と縛りから大きく解き放つ」という人間解放の素晴しい力を発揮するのを再認識させられました。私も、この間の活動をとおして、深い感動を幾度も味わうという得がたい体験を共有してきました。私は、もしも許されるものなら、神戸地裁の裁判官たちに、「この判決の放った社会的・政治的威力の大きさ」とともに、「孤児たち一人ひとりの人間の尊厳を回復させ、社会的差別・縛りから孤児たち全員を一気に解き放つ力」を示したことについて、私は、同じ法曹としての私自身が味わった熱い感動も含めて伝えたいというおもいに駆られた次第です。

3.おわりに−期待される司法の役割
 最後に、神戸地裁12.1判決が切り開いた中国残留孤児問題の全面解決要求実現の可能性とその到達点を踏まえつつ、私たちが、神戸地裁判決後の司法に何が期待されるかについて述べることにします。
 1つは、今後判決する全ての裁判所は、神戸地裁判決の主要な積極面はしっかり継承しより精緻に発展させるとともに、その否定的・消極的面をぜひとも克服するという課題にも挑んでいただきたいことです。
 もう1つは、全国の孤児の統一した活動によって新たに生まれた政治解決の可能性とその到達点を踏まえ、最も適切な時期に、全国の裁判所が統一して、全ての「孤児」原告たちについて公正平等な権利救済を実現するという司法解決をめざす努力を尽くしていただきたいことです。
 この2つの課題は、中国残留孤児訴訟が係属する全ての裁判所に対し期待されるのは言うまでもありません。しかし、本件2次から5次訴訟の原告1052名を担当する当裁判所は、既に結審した1次訴訟原告40名と合わせ全国の過半数の孤児原告の訴訟を担っているのですから、他の裁判所と比べてより重い責任を負っていることは明白です。
 それだけに、仮に来年1月30日までに神戸地裁判決を活かした政治解決が実現しない場合には、本件1次訴訟で正義を貫く判決が出されることによって、孤児たちの人間の尊厳を回復する新たな政策が確立することを私たちが期待するのは言うまでもありません。同時に、本件2次から5次訴訟が、1次訴訟判決を指針として早期に司法判断されることを心から期待します。1052名の「孤児」原告にとって、残された人生は、そう長くはありません。この原告たちの生命あるうちに、心から「日本に帰ってきてよかった」と言える状況を創り出せるのは、今日においては、司法の正義以外ないというのが私たちの確信であるからです。

不当控訴に抗議する!(抗議Faxのお願い)

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 国の不当控訴に対して心の底から抗議します
 国の責任を認めた歴史的な神戸地裁判決に対し 国は不当控訴!!

 去る12月1日、神戸地方裁判所(橋詰均裁判長・山本正道裁判官・宮端謙一裁判官)は、国が残留孤児の帰国の妨げとなる違法な措置をとったこと、残留孤児には北朝鮮拉致被害者と同等の自立支援措置を受ける権利があるのに、国は自立支援義務を怠ったことを明確に認め、残留孤児への賠償を認めました。まさに歴史的判決であったといえます。この判決を受け、安倍晋三内閣総理大臣も、「残留孤児の皆さんは、相当の年月を経て御高齢になった。そして、大変な苦労をされた。きめこまやかな支援を当然考えていかなければならない」と答えました。
にもかかわらず、国は、不当にも神戸判決に対して控訴しました。これは、残留孤児のみならず国民に対する背信行為にほかなりません。
 私たちは、国の不当控訴に対し、心の底から抗議します。


 安部首相・柳澤厚労大臣に抗議の声を届けましょう!

 残留孤児問題の早期解決には、市民の皆様の応援が是非とも必要です。
http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/upfile/212.pdfの書式を使って、首相官邸・厚労省にFAXを送ってください。

「神戸判決で私たちはやっと日本人と認められた。国は、私たちをまた捨てるのか!!」

中国「残留孤児」国家賠償訴訟原告団・弁護団全国連絡会
(連絡先)
東京都台東区東上野3-37-9かみちビル4階台東協同法律事務所
TEL 03-3834-5831

国が控訴・抗議声明

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 12月11日、国は、12月1日の神戸地裁判決を不服として大阪高裁に控訴しました。
 これに対して、原告団・弁護団は抗議の声明を発表しました。

※写真は控訴を受けて会見した東京原告団代表の宇都宮孝良さん(左から2人目)

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神戸地裁判決を踏まえて、早急に「孤児」に対する生活保障等の
支援策の具体化を!

 政府の控訴に対する声明
         2006年12月11日
  中国残留孤児国家賠償訴訟原告団全国連絡会
  中国残留孤児国家賠償訴訟弁護団全国連絡会

 本日、政府は、日中国交回復後の違法な帰国制限と帰国後の自立支援義務懈怠について国の賠償責任を認めた中国残留孤児国家賠償訴訟神戸地裁判決に対し、これを不服として大阪高等裁判所に控訴した。
 これは、兵庫原告だけでなく、高齢化が進み、残された人生の時間が長いとはいえない全国の孤児とその家族らの切実な願いを踏みにじり、訴訟を継続させることで中国残留孤児問題の全面解決をいたずらに遅らせる暴挙であり、神戸地裁判決の言葉を借りれば、まさに「無慈悲な」政策決定であると言わなければならない。われわれ全国原告団連絡会と全国弁護団連絡会は、政府に対し、心の底から抗議する。
 厚生労働省は、本日の控訴に当たって「今後ともきめ細やかな支援施策に努めてまいりたい」とコメントした。しかし、その具体的内容はまったく明らかではない。特に、焦点である孤児独自の給付金の創設にはまったく触れておらず、これでは安倍総理大臣が言明した「きめ細かい支援策」とは程遠いものといわざるを得ない。
 現在全国の孤児の9割に相当する2200名が15地裁・1高裁に同様の提訴をしている。孤児らが裁判に託しているものは、国の責任において、安心できる老後の生活の保障制度を確立することである。政府は、安倍総理大臣が国会答弁で言明したとおり、中国残留孤児に対する「よりきめ細やかな支援策」を速やかに具体化するため、総理大臣、厚生労働大臣自らが、当事者である孤児と直ちに面談し、その深刻かつ長年にわたる被害の実態と孤児たちが求める真の自立に向けた全面解決要求に耳を傾けるべきである。そして、厚生労働省は、直ちに全国原告団協議会との協議を開始すべきである。
 全国の原告団および弁護団は、政府の不当な控訴、解決の引き延ばしに屈することなく、「日本に帰ってきてよかった」思える日が来るまで、これを支援する国民とともに闘い続けることを表明する。そして、これまで残留孤児に寄せられた国民の皆さんの温かいご支援に心から感謝するとともに、今後ともこれまでに増して大きなご理解、ご支援をお願いするものである。

・・・・・・・・・・・・・・・・
声  明

  中国残留孤児「国家賠償」訴訟兵庫原告団
  中国残留孤児「国家賠償」訴訟兵庫弁護団

 本日、政府は、日中国交回復後の違法な帰国制限と帰国後の自立支援義務懈怠について国の賠償責任を認めた中国残留孤児国家賠償訴訟神戸地裁判決を不服として、大阪高等裁判所に控訴した。

 これは、高齢化が進み、残された人生の時間が長いとはいえない原告らの切実な願いを踏みにじり、中国残留孤児問題の全面解決をいたずらに遅らせる暴挙であり、神戸地裁判決の言葉を借りれば、まさに「無慈悲な」政策決定であると言わなければならない。

 われわれ兵庫原告団と弁護団は、政府に対し、心の底から抗議する。

 本日の控訴の発表に際して、厚生労働省は、「帰国者の高齢化が進んでいるという現状などを踏まえ、これらの方々が安心して生活を営むことができるよう、継続的な支援をさらに充実させるなど必要な措置を講じ、今後ともきめ細やかな支援施策に努めてまいりたい」とコメントした。しかしながら、その内容には具体性が全くない。特に、孤児の強く要求している孤児独自の給付金制度にも全く言及していないことには失望を禁じ得ない。

 政府は、安倍総理大臣が国会答弁で言明した、中国残留孤児に対する「よりきめ細やかな支援策」を速やかに具体化するため、厚生労働大臣、総理大臣自ら、直ちに、当事者である孤児と面談し、その深刻きわまる被害の実態と孤児たちの求める全面解決要求に耳を傾けるべきである。厚生労働省は、直ちに原告団と協議を開始すべきである。

 われわれは、政府の不当な控訴、解決の引き延ばしに屈することなく、「日本に帰ってきてよかった」と思える日が来るまで、闘い続けることを表明する。そして、これまで残留孤児に寄せられた国民の皆さんの温かいご支援に心から感謝するとともに、今後ともこれまでに増して大きなご理解、ご支援をお願いするものである。

 2006(平成18)年12月11

※兵庫訴訟弁護団HP
http://www16.ocn.ne.jp/~kojikobe/zanryukojitop.html

文化人アピール

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 12月11日、100万人署名の呼びかけ人は、中国「残留孤児」問題の全面解決を求める緊急アピールを発表し、衛藤瀋吉さん、羽田澄子さん、林郁さん、井出孫六さん、渡辺一枝さんが、東京霞ヶ関の弁護士会館で記者会見を行いました(写真)。

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  緊急アピール

神戸地裁の原告勝訴判決を受け止め
国は中国「残留孤児」問題の全面的解決を

 この12月1日,神戸地方裁判所は,中国「残留孤児」たちが,帰国の著しい遅れと帰国後の自立支援がきわめて不十分であったことについて国の責任を追及した裁判で,画期的な原告勝訴判決を言い渡しました。

私どもは,国がこの判決を重く受け止め,これ以上「孤児」たちと裁判で争うことをやめ,苦難の人生を歩んできた中国「残留孤児」たちが祖国で安心して老後の生活を送ることができるよう国の政策を転換し,この問題の全面的な解決をはかることを,ここに強く求めます。

中国「残留孤児」は,終戦時,幼くして旧「満州」に取り残され,多くは終戦後40年以上もたってから,やっとの思いで祖国日本に帰国した方々です。帰国後の国の自立支援策がきわめて不十分だったことから,日本語も十分に話せず,就職もままならず,日本社会で疎外され孤立させられ,60歳代から70歳代となった現在,老後の生活の不安にさいなまれておられます。
神戸判決は,国が「孤児」たちの帰国を妨げたこと,自立支援の義務を怠ったことを明確に認めました。そして,中国「残留孤児」の被害は「自国民の生命・身体を著しく軽視する国の無慈悲な政策」によるものであり,政府は「無慈悲な政策によってもたらされた自国民の被害を救済すべき高度な政治的責任を負う」とはっきり述べています。また,「孤児」に対する自立支援策が「北朝鮮拉致被害者の支援策よりも貧弱でよいわけがない」,「国会議員は継続的給付金制度の立法を行うことが期待される」とも述べています。
この判決を聞いた原告の方々は,「やっと日本人になれた」,「凍りついた心がとけ始めた」,「これで『残留孤児』から解放される」と涙を流して喜んでおられます。これは,全国15地裁,1高裁で原告となっておられる2201名の「孤児」の方々すべての痛切な思いです。これ以上,「孤児」の方々に苦難の人生を歩ませてはなりません。

私どもは,2002年12月,「孤児」の方々が東京地裁に初めて裁判を起こしたとき,“中国「残留孤児」の人間回復の闘いに支えを”という内閣総理大臣宛の100万人署名のよびかけをいたしました。署名は,今年3月初めに100万筆を達成しました。約3年という短期間でこれだけの署名が寄せられたことは,多くの日本国民が「孤児」の方々の被害を他人事ではないと受け止めていることの表れに他なりません。
旧「満州」からの引揚げ60周年という節目の年にあたる今年,国は「無慈悲な政策」を終わらせ,「孤児」の方々が心から祖国に帰ってきてよかったと思える全面的解決を約束すべきです。それは,「孤児」の方々の人間としての尊厳を回復すると同時に,国策によって再び幼い子どもが棄てられることがあってはならないという,多くの日本国民の願いにつながるものでもあります。
私どもはこのような立場から,国民の皆さんと政府に向けて,緊急のアピールをするものです。

2006年12月11日

石坂啓 井出孫六 井上ひさし 衛藤瀋吉 加藤登紀子 坂本龍彦 佐野洋 ジェームス三木 新藤兼人 曾徳深 ちばてつや 仲代達矢 羽田澄子 林郁 古谷三敏 森村誠一 山崎朋子 山田洋次 渡辺一枝(五十音順)

・・・・・・・・・・・・・・・・
12.11「緊急アピール」賛同者(五十音順)

石坂啓(漫画家)
1956年生まれ

井出孫六(作家)
1931年長野県生まれ 
著書に『終わりなき旅 「中国残留孤児」の歴史と現在』など 神戸地裁,長野地裁で証言,12月20日鹿児島地裁で証言予定

井上ひさし(作家・日本ペンクラブ会長)
1934年山形県生まれ 
代表を務める「国民学校1年生の会」が「中国『残留孤児』の人間回復を求める市民連絡会」に参加し,東京地裁提訴時から孤児訴訟に協力。

衛藤瀋吉(東京大学名誉教授)
1923年生まれ
中国を中心とする東アジア政治史の研究

加藤登紀子(歌手)
1943年ハルビン生まれ
終戦時,父はソ連の捕虜になり,母と共に収容所生活を経て引揚げ

坂本龍彦(ジャーナリスト)
1933年山梨県生まれ
開拓団出身 ハルビンで敗戦を迎え1946年引揚げ 1973年8月,朝日新聞時代,国の公開調査に先駆けて孤児の肉親探しの情報を公開する「生き別れた者の記録」を企画 著書の『孫に語り伝える「満州」』は各地裁訴訟の甲第1号証となる 名古屋地裁で証言

佐野洋(作家)
1928年東京生まれ

ジェームス三木(脚本家)
1935年瀋陽生まれ
2003年7月市民連絡会主催の集会で講演

新藤兼人(映画監督)
1912年広島生まれ

曾徳深(日本華僑華人連合総会会長)
1940年横浜中華街生まれ 

ちばてつや(漫画家)
1939年東京都生まれ 
1941年朝鮮半島をへて瀋陽に渡る1946年引揚げ 中国「残留孤児」に心を寄せ,浅草寺の母子地蔵,瀋陽の養父母感謝像などのデザインを担当 1995年「中国引揚げ漫画家の会」 パンフレット表紙のイラストを提供

仲代達矢(俳優)
1932年東京都生まれ
1995年NHKドラマ「大地の子」で主人公の中国「残留孤児」陸一心の実父役を演じる

羽田澄子(記録映画作家)
1926年大連生まれ

林郁(作家)
1936年長野県生まれ 
1976年長野県開拓団出身の「残留婦人」と出会い,『満州・その幻の国ゆえに』など「満州3部作」執筆 「植民地文化研究」編集委員 2003年7月市民連絡会主催の集会で講演 東京訴訟を欠かさず傍聴。

古谷三敏(漫画家)
1936年大連生まれ 
「中国引揚げ漫画家の会」会員

森村誠一(作家)
1933年埼玉県生まれ

山崎朋子(ノンフィクション作家)
1932年長崎県生まれ
2003年7月市民連絡会主催の集会で講演

山田洋次(映画監督) 
1936年大阪府生まれ
2歳で大連に渡り1947年引揚げ

渡辺一枝(作家) 
1945年ハルビン生まれ 
父は現地で召集され消息不明 1946年引揚げ 2003年7月市民連絡会主催の集会で講演 東京訴訟を欠かさず傍聴

神戸地裁勝利デモ

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 12月7日、全国から集まった中国「残留孤児」訴訟原告、弁護士、支援者ら約300人は「孤児」問題の全面解決を訴え、日比谷公園から国会に向けてデモ行進を行い、出迎えに来られた土肥隆一(民主党)、高橋千鶴子・佐々木憲昭・塩川てつ(共産党)各衆議院議員、岡崎トミ子(民主党)、仁比聡平・紙智子(共産党)各参議院議員に衆参両院議長に宛てた請願署名を手渡しました。

厚生労働省前座り込み

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 12月1日の神戸地裁勝訴判決を受けて、4日より全国の原告が「全面解決要求」に応じることを求めて厚生労働省前での座り込みを行っています。
 座り込みは、6日まで毎日午後0時から行います。

神戸地裁判決・勝訴!(新聞社説)

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 昨日の神戸地裁勝訴判決をうけ、新聞各社は次ぎのような社説を発表しました。


朝日新聞2006/12/02(土)付社説
残留孤児、勝訴 祖国への思いに応えよ

毎日新聞2006/12/02(土)付社説
残留孤児判決 生活支援は国の責任だ

東京新聞2006/12/02(土)付社説
残留孤児勝訴 戦後の『空白』に差す光

神戸新聞 06・12・02社説
中国残留孤児/「神戸判決」高く評価する

愛媛新聞2006/12/02(土)付社説
残留孤児勝訴判決 国は一刻も早く救済すべきだ

信濃毎日新聞 06年12月2日(土)付社説
社説=残留孤児 国は一刻も早い救済を

西日本新聞2006/12/02付 社説
国の無策が指弾された 中国残留孤児

北海道新聞 06.12.02社説
残留孤児判決*政府は全面救済を急げ

河北新報 06.12.02 社説
中国残留孤児訴訟/国は早期全面解決を図れ

高知新聞 06.12.02 社説
【残留孤児訴訟】「棄民」に早く終止符を

中国新聞 06.12.02 社説
中国残留孤児判決 国は救済に本腰入れよ

南日本新聞 06.12.02 社説
[残留孤児訴訟] 国の無策を指摘し真の救済を迫った

各社の社説について
http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/upfile/207.htm

神戸地裁判決・勝訴!(判決要旨)

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― 中国残留日本人孤児訴訟の判決要旨 ―

 神戸地方裁判所平成16年(ワ)第835号,平成16年(ワ)第1485号,平成17年(ワ)第1026号事件について,当裁判所は,平成18年12月1日午前10時,原告番号19,43,44及び65の4名を除く原告ら61名の請求を一部認容し,被告に対し,その61名に表1「損害総額」欄記載の損害賠償金(総額4億6860万円)を支払うよう命じ,上記4名の請求を棄却する旨の判決を言い渡したが,その判決の概要及び判決理由の要旨は下記のとおりである。

 神戸地方裁判所第6民事部

【判決の概要】
1 原告らは,いずれも,かつての満州(現在の中国東北部)で肉親と暮らしていたが,昭和20年8月9日満州に攻め入ったソ連軍からの逃避行又はその後の避難生活において,肉親と死別又は離別して孤児となり,中国人に養育され,昭和47年9月の日中国交正常化後,日本に帰国した者である。
2 表2は,原告らの終戦時(降伏文書調印時である昭和20年9月2日)の年齢(表2の(終)欄),日中国交正常化時の年齢(表2の(正)欄),永住帰国を決意した時期,帰国が可能と考えられた時期,実際の永住帰国の時期,永住帰国時の年齢(表2の(永)欄)に関する本判決の事実認定を整理したものである。
  表3は,原告らが受けた日本語教育の概要,原告らが,永住帰国後に定着促進センターに入所したかどうか(表3の(定)欄),現在生活保護を受給しているかどうか(表3の(保)欄)に関する本判決の事実認定を整理したものである。
3 原告らは,骨子,次のとおり主張し,国家賠償法1条に基づき,被告に対し,一人当たり3300万円の損害賠償金の支払を求めた。
  @ 政府関係者は,残留孤児の帰国の妨げとなる措置を講じ,あるいは残留孤児の早期帰国を実現させる義務(早期帰国支援義務)を懈怠し,その違法な職務行為によって原告らに損害を被らせた。
  A 政府関係者又は国会議員は,自立した生活を営むことができるよう帰国孤児を支援する義務(自立支援義務)を懈怠し,その違法な職務行為によっても原告らに損害を被らせた。
4 本判決は,次のとおり判断した。
  @ 原告番号5,6,9,12,14,20,28,29,30,38,41,45,49,52,58,59,62の17名の原告は,残留孤児の帰国の妨げとなる違法な措置により,帰国を制限され永住帰国を遅延させられたから,被告は,それら17名に帰国遅延月数1月当たり10万円の割合によって計算される慰藉料を支払うべき国家賠償責任を負う。
  A ただし,本件訴訟提起の20年以上前の帰国遅延に係る損害の賠償責任は,除斥期間が経過したことにより消滅しており,上記17名のうち原告番号2 0,62の原告ら2名の帰国遅延について,被告は損害賠償責任の全部を免れる。
  B 原告ら主張の早期帰国支援義務は,政府の政治的責務としては首肯できるものの,その懈怠が国家賠償責任を発生させるような義務,すなわち,政府関係者が原告ら個々人に対して負う具体的な法的義務として認定することが困難であり,原告らの帰国に関し,被告には,上記@以外の国家賠償責任を負うとすることができない,(ママ)
  C 原告らは,北朝鮮拉致被害者が法律上受け得る日本語習得,就職や職業訓練に関する支援措置と同等の自立支援措置を受ける権利があり,政府関係者は,原告ら個々人に対し,永住帰国後5年間は,生活の心配をしないで日本語の習得,就職・職業訓練に向けた支援を行う法的義務を負っていたが,その義務を怠ったのであり,被告は,原告らそれぞれに対し,その義務の懈怠によって生じた無形損害を償うため600万円の慰藉料を支払うべき国家賠償責任を負う。
  D ただし,永住帰国後5年間の自立支援義務の懈怠から既に20年が経過している原告番号19,43,44,65の4名の原告らとの関係で,被告は,除斥期間の経過により,自立支援義務の懈怠を原因とする損害賠償責任を免れる。
  E 自立支援に関する国会議員の立法不作為については,裁判所がこれを違法と判断することが困難であり,立法不作為を原因とする原告らの国家賠償請求は理由がない。

【判決理由の要旨】

第1 残留孤児が生じた経緯

1 政府は,傀儡国家である満州国を建国したことから,満州の支配体制の確立,満州の軍事力の充実を目的とし,昭和7年から満州への移民を開始し,昭和12年から終戦直前までは,重要な国策として,大量の開拓民を満州に送出し,主として,ソ連軍の満州侵攻時に犠牲が生じやすい満州の北部・北東部に開拓民を住まわせた。

2 開拓民が唯一頼りであった関東軍は,昭和18年後半以降,戦局悪化を受けて半分が他所に転用され,著しく弱体化し,ソ連軍を迎え撃つ戦力を保持していない状態であった。
  昭和20年春にはソ連の満州侵攻が決定的となったが,政府は,朝鮮半島及びその近接地域を絶対的防衛地域とし,その他の満州地域を持久戦のための戦場とすることを決定し,多くの開拓民らの犠牲を伴う作戦を立てた。
  これにより,開拓民の多くは,ソ連軍侵攻時,関東軍による防戦を期待することができず,ソ連軍による殺戮・略奪の危険にさらされる状態となった。
 
3 にもかかわらず,政府は,静謐(せいひつ)を装う方針を堅持することにし,開拓民に関東軍やソ連の動向に関する情報を伝えず,関拓民を予め避難させる措置を講ずることもなかった。それどころか,昭和20年7月には,弱体化した関東軍の人員補充のため,いわゆる「根こそぎ動員」を実施し,開拓民の青年・壮年男子全員を徴兵し,関拓民を高齢者と婦女子だけの無防備な集団にしてしまった。

4 このようにし,開拓民は,全く無防備な状態で,昭和20年8月9日,突然ソ連軍の侵攻にさらされ,極度の混乱の中で難民と化し,暖房も食料も乏しく衛生状態も悪い避難所で,極寒の越冬生活に直面することになった。原告らを含む多数の日本人乳幼児・児童は,避難所へたどり着く過程や避難所生活中に親兄弟と死別・離別しており,自己の意思とは無関係に,周囲の大人の判断により,命をつなぎ止める唯一の手段として中国人家庭に渡され,養子として養育されることになった。そして,中国人の養子となった原告ら孤児たちは,避難所に踏みとどまって後に集団引揚げをした日本人の大人と一緒に我が国に帰還することができず,その後も帰還の途を閉ざされ,長らく,我が国と国交のない中国に残留することになった。


第2 残留孤児の帰国に向けた政府の責任について

1 戦闘員でない一般の在満邦人を無防備な状態に置いた戦前の政府の政策は,自国民の生命・身体を著しく軽視する無慈悲な政策であったというほかなく,憲法の理念を国政のよりどころとしなければならない戦後の政府としては,可能な限り,その無慈悲な政策によって発生した残留孤児を救済すべき高度の政治的な責任を負うと考えなければならない。政府自身,残留孤児が中国内で生存していることを認識していたのであって,後期集団引揚げが終了した昭和33年7月以降も,残留孤児の消息を確かめ,自国民の救済という観点からその早期帰国を実現すべき政治的責任を負っていたのである。

2 日中国交正常化までは,残留孤児救済責任を果たすための具体的な政策の実行は困難であったというべきであるが,日中国交正常化によって,政府は,残留孤児救済責任を果たすための具体的な政策を実行に移すことができるようになった。したがって,日中国交正常化後は,残留孤児の帰還に関与する政府関係者は,政府の残留孤児救済責任と矛盾する行政行為を行ってはならず,特段の合理的な根拠なしに,残留孤児の帰国を制限する行政行為をしたとすれば,それは,残留孤児個々人の帰国の権利を侵害する違法な職務行為となる。
  そして,そのような行政行為によって我が国への永住帰国が妨げられたと認められる原告がある場合,被告は,国家賠償法1条に基づき,帰国を制限されたことによって当該原告が被った損害を賠償すべき責任を負う。

3 具体的には,次の@ないしBは,合理的な根拠なしに残留孤児の帰国を制限する違法な行政行為というべきである。
 @ 残留孤児が我が国に入国する際,留守家族の身元保証を要求する措置
   残留孤児は,通常,中国旅券を所持して我が国に渡航することにならざるをえないところ.中国政府が残留孤児であると認めて出国を許可した者は,中国旅券を所持していても日本人であると考えて何ら差し支えがなかったのに,政府は,残留孤児を外国人として扱う方針を貫くことにし,留守家族による身元保証書の提出がされない限り,入国を認めなかった。これにより,誰が留守家族か分からない残留孤児(身元未判明孤児),留守家族の協力が得られない身元判明孤児の帰国の途が閉ざされた。
 A 残留孤児が政府に帰国旅費の負担を求めようとする際,その支給申請は留守家族が残留孤児の戸籍勝本を提出して行うものとした措置
   この措置により,身元未判明孤児,留守家族の協力が得られない身元判明孤児は帰国旅費の支給を受けることができず,事実上,帰国することができない結果となった。
 B 昭和61年10月以降,身元判明孤児について,留守家族の身元保証に代わる招へい理由書の提出,特別身元引受人による身元保証といった,入管法が求めているわけでもない手続の履践を求める措置

4 原告らのうち17名は,上記3@ないしBの違法な指置(本件帰国制限)により,永住帰国の遅延を余儀なくされた。
  ただし,本件帰国制限は,継続的な違法行為であり,これによる損害も日々生じるものであるから,本件訴訟提起の日において既に20年が経過している時期に関する国家賠償責任は,除斥期間の経過によって法律上当然に消滅した。

5 本件帰国制限以外に,早期帰国支援義務の存否や懈怠の有無を検討するということは,もし政府が速やかに消息調査と帰国支援のための政策を実施していれば,原告らが,実際の永住帰国よりどの程度早く永住帰国することができたのかを問うことである。
  ところが,原告ら個々人について,どの時期にどのような措置が可能であり,その措置によりどの程度早く帰国できたかを認定することは極めて困難であり,その点の事実認定ができない以上,原告ら個々人との関係での早期帰国支援義務の存在やその惨怠の有無というものを論じることは不可能である。


第3 帰国孤児の自立支援に向けた政府の責任について

1 政府は,日中国交正常化後,残留孤児の帰国支援に向けた政策の遂行を怠り,かえって本件帰国制限を行うなどして,いたずらに残留孤児の帰国を大幅に遅らせた。残留孤児の大半が,永住帰国時,日本社会への適応に困難を来す年齢となっていたのは,日中国交正常化後も残留孤児救済責任を果たそうとしなかった政府の無策と本件帰国制限という違法な行政行為が積み重なった結果である。
  したがって,政府は,条理に基づき,残留孤児に対し,日本社会で自立して生活するために必要な支援策を実施すべき法的義務(自立支援義務)を負っていたといわなければならない。

2 北朝鮮拉致被害者に対して行われた自立支援策は,残留孤児に対してどのような自立支援策を実施すべきであったかを判断する上で参考になる。
  拉致被害者は,永住帰国後5年を限度として,毎月,生活保護よりもかなり高い水準の拉致被害者等給付金の支給を受け,かつ,社会適応指導,日本語指導,きめ細かな就労支援を受けることができる。つまり,拉致被害者は,少なくとも永住帰国から5年間は,所得保障がされ,無理な就労を強いられない状態で,日本語の習得,職業能力の向上に専念することができ,肉体的・情神的に余裕をもった状態で永住帰国後の生活を送ることができる。
  抗致被害者が自立支援を要する状態となったことにつき政府の落ち度は乏しいが,残留孤児が自立支援を要する状態となったことにつき政府の落ち度は少なくない。したがって,条理が,政府に対し実施を求める残留孤児の自立に向けた支援策が,担致被害者におけるそれよりも貧弱でよかったわけがない。
  したがって,厚生大臣(又は厚生労働大臣)としては,原告らを含む帰国孤児個々人に対し,永住帰国から5年の間,日本語の習得,就職活動,職業訓練に向けた支援を行い,かつ,それらにじっくりと取り組むことができるよう生活保持に向けた支援を行う法的義務を負っていたということができる。

3 ところが,実際に政府が実施した日本語習得に向けた支援策,就職,職業訓練に関する支援策は,極めて貧弱であり,生活保持に向けた支援についても,生活保護の受給期間を永住帰国後1年を目途とする運用がされていた。そして,関係者は,日本語能力や職業能力が十分身についていない状態の帰国孤児に対し,かなり強引に就労を迫っていた。
  厚生大臣(又は厚生労働大臣)は,過失により,帰国孤児に対する自立支授義務を懈怠したというほかなく,被告は,国家賠償法1条により,その義務懈怠によって原告らに生じた損害を賠償する責任を負う。その損害とは,自立支援義務が履行されていたならば原告らが置かれていたであろう状況と原告らの現状との格差であり,これを償うための慰藉料の額は,原告ら一人当たり600万円とするのが相当である。

4 自立支援義務の懈怠を原因とする国家賠償責任は,永住帰国から5年が経過した時点から20年で,除斥期間の経過により消滅する。


第4 国会議員の自立支援立法の不作為について

1 残留孤児をめぐる歴史的経緯,残留孤児に対する自立支援策が極めて不十分であったことなど,残留孤児の特殊な事情を考慮すれば,政府としては,生活に困窮する残留孤児の生計を維持するため,生活保護とは別の,継続的給付金あるいは年金の制度を実施する必要があろうと思われるが.そのためには特別な立法指置が必要となる。
  ところが,現在までに特別な立法措置がされていない結果,政府は,上記の制度を実施していない。

2 そこで,その立法不作為が違法かどうかが問われることになるが,裁判所は,どのような内容・金額の給付を定めた立法をすれば違法状態が解消されるのかを判決で具体的に示すことができない。具体的にどのような立法活動をすれば違法状態が解消されるのか示すことができないのに,国会議員の立法不作為が違法であるとの判断を下すことは不可能というほかない。
  すなわち,残留孤児の生計維持のための継続的給付金制度に関する立法不作為は,これを違法であると認定することができず,その立法不作為が違法であることを前提とする原告らの国家賠償請求は理由がない。


第5 戦争責任論について

  本判決が認定した損害は,日中国交正常化後に政府関係者がした違法な職務行為による損害であって戦争損害ではないから,いわゆる戦争損害論によって国家賠償責任を否定することはできない。


第6 消滅時効について
  被告は,本件帰国制限に基づく国家賠償債権につき消滅時効を援用するが,政府は,原告らに対して負う自立支援義務を履行せず,原告らの生活基盤を不安定なものとし,訴訟の提起を困難にしていたのである。したがって,原告らに対し帰国後3年以内の訴え提起を要求することは酷であり,被告の消滅時効の援用は,信義則(民法1条2項)に反し許されない。

 以 上

神戸地裁判決・勝訴!(原告団・弁護団声明)

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中国「残留孤児」国家賠償・兵庫訴訟の判決について

2006年12月1日 

中国「残留孤児」国家賠償訴訟原告団全国連絡会
中国「残留孤児」国家賠償訴訟弁護団全国連絡会

 本日,中国「残留孤児」国家賠償兵庫訴訟について,神戸地方裁判所第6民事部は,被告国の「早期帰国実現義務」および「自立支援義務」の双方の義務違反を認め,原告65名中61名に対する損害賠償請求を認める判決を言い渡した。

 原告らは,幼くして満州の地に取り残されて以来,現在に至るまで,約60年間の長きにわたって,国の誤った孤児政策によって,「日本人として,日本の地で,人間らしく生きる権利」という,日本人であれば当然に有すべき権利の侵害を受け続けてきた。
 本件訴訟は,このような原告らが,国の政策の過ちを問い,日本人としての,そして人間としての尊厳の回復を求めるとともに,国策によって子や孫を再び残留孤児にするようなことがあってはならないとの願いを込めた裁判であった。さらには,私たち国民1人1人が,戦後一貫して日本人として当然の権利から排除,隔離されてきた日本国民がいるという現実を直視し,戦後日本の民主主義の質を問い直す契機となるべき,現代的意義をも有する裁判であった。また,昨年7月,大阪地方裁判所が,中国「残留孤児」らの請求を全面的に棄却する判決を言い渡し,これに対し,大きな批判が沸き起こっていた。

 本判決が,国の「早期帰国実現義務」および「自立支援義務」の双方の義務について,明確に法的責任を認めたことは,極めて重要な意義を有するものである。
 本判決は,「早期帰国実現義務」に関して,日中国交正常化がなされた1972年以降,国が「合理的な根拠なしに残留孤児に帰国を制限する違法な行政行為」をおこなったとして原告17名に対する賠償責任を認めた。
 さらに「自立支援義務」に関して,「政府は,条理に基づき,残留孤児に対し,日本社会で自立して生活するために必要な支援策を実施すべき法的義務(自立支援義務)を負っていた」と明確に認め,原告61名に対する賠償責任を認めた。
 また,本判決は,中国「残留孤児」が蒙った損害は,「戦争損害」であるとの理由で国の責任を免罪するものではないことを明快に指摘した。
 原告4名の請求を除斥期間の経過を理由として棄却したことについては課題を残したが,本判決は,国の政策の誤りによって,原告ら中国「残留孤児」らが,これまで戦後約60年にわたり苦難に満ちた人生を強いられ,未だに「日本人として,日本の地で,人間らしく生きる」という,日本人として極めて基本的な権利の実現ですら困難となっている現実を正面から認め,これらの事態が極めて重大な人権侵害であるとしたものである。

 現在,全国の15の地裁,1つの高裁で,2201名の中国「残留孤児」が原告となり,国の責任を追及する裁判を闘っている。本判決は,初めての勝訴判決であり,司法による原告らの権利および人間としての尊厳の回復の道を切り拓くとともに,従来の誤った孤児政策を断罪し,国にはこれを抜本的に転換すべき法的責任があることを認めたものに他ならない。
 
 本判決により,国の義務違反は明確に断罪された。
 国は,本判決を厳粛に受け止めて,自らの政策の誤りを率直に認めるべきである。そして,行政府および立法府は,中国「残留孤児」の権利および人間としての尊厳の回復を図るために抜本的な政策転換を果たすべきである。我々,原告団および弁護団は,本判決を機に,中国「残留孤児」に対する施策を抜本的に転換し,全国原告団連絡会が要求する全面解決要求事項について,国が,原告団および弁護団との間で早急に協議を開始し,中国「残留孤児」問題の全面解決を図るよう強く要求する。

以上

・・・・・・・・・・・・・・・

 中国「残留孤児」国家賠償兵庫訴訟・原告団
      団 長  初 田 三 雄
 中国「残留孤児」国家賠償兵庫訴訟・弁護団
      団 長  宗 藤 泰 而
                       
 本日,中国「残留孤児」国家賠償兵庫訴訟について,神戸地方裁判所第6民事部(橋詰均裁判長,山本正道裁判官,宮端謙一裁判官)は,被告国の「帰国制限」施策の違法および「自立支援義務」違反を認め,原告65名のうち61名に対する損害賠償請求を認める判決を言い渡した。
 原告らは,幼くして満州の地に取り残されて以来,現在に至るまで,約60年間の長きにわたって,国の誤った孤児政策によって,「日本人として,日本の地で,人間らしく生きる権利」という,日本人であれば当然に有すべき権利の侵害を受け続けてきた。
 本件訴訟は,このような原告らが,国の政策の過ちを問い,日本人としての,そして人間としての尊厳の回復を求めるとともに,国策によって子や孫を再び残留孤児にするようなことがあってはならないとの願いを込めた裁判であった。さらには,私たち国民1人1人が,戦後一貫して日本人として当然の権利から排除,隔離されてきた日本国民がいるという現実を直視し,戦後日本の民主主義の質を問い直す契機となるべき,現代的意義をも有する裁判であった。
 本判決に先立ち,昨年7月,大阪地方裁判所は,中国「残留孤児」らの請求を全面的に棄却する判決を言い渡していたところ,そのような中で,本判決が,国の「帰国制限」施策の違法性,および「自立支援義務」についての法的責任を明確に認めたことは,極めて重要な意義を有するものである。
 本判決は,「日中国交正常化後は,残留孤児の帰還に関与する政府関係者は,政府の残留孤児救済責任と矛盾する行政行為を行ってはならず,特段の合理的な根拠なしに,残留孤児の帰国を制限する行政行為をしたとすれば,それは,残留孤児個々人の帰国の権利を侵害する違法な職務行為となる」とし,政府の「残留孤児」を外国人として扱う方針に基づく各措置が違法であると認定した。
 また,国の「自立支援義務」に関して,北朝鮮拉致被害者に対する自立支援策よりも「貧弱でよかったわけがない」とし,原告ら中国「残留孤児」に対する実際の支援が極めて貧弱であり,生活保持の支援も1年を目処として強引に就労を迫っていたとして,義務違反を認めた。
 本判決は,ようやく帰国を果たした中国「残留孤児」に対して,国が,「自立支援義務」に違反した,極めて不十分な施策しか採らなかったことにより,原告ら中国残留孤児らが,未だに「日本人として,日本の地で,人間らしく生きる」という,日本人として極めて基本的な権利の実現すら困難となっている現実を正面から認め,これらの事態が極めて重大な人権侵害であるとしたものである。
 本判決は,司法による原告らの権利および人間としての尊厳の回復の道を切り拓くとともに,従来の誤った孤児政策を断罪し,国にはこれを抜本的に転換すべき法的責任があることを認めたものに他ならない。
 我々,原告団および弁護団は,除斥期間の適用を肯定して一部の原告について請求を棄却したことは容認しがたいとしても,原告ら中国「残留孤児」らの被害実態ならびに悲痛なる思いを真摯に受け止めて,裁判所が,政府による「帰国制限」施策の違法性および「自立支援義務」違反を認定した本判決を高く評価するものである。
 本判決により,国の義務違反は明確に断罪された。
 国は,本判決を厳粛に受け止めて,自らの政策の誤りを率直に認めるべきである。そして,行政府および立法府は,中国「残留孤児」の権利および人間としての尊厳の回復を図るために抜本的な政策転換を果たすべきである。我々,原告団および弁護団は,本判決を機に,国に対し,中国「残留孤児」に対する施策を抜本的に転換し,全国原告団連絡会が要求する全面解決要求事項について,原告団および弁護団と早急に協議を開始し,中国「残留孤児」問題の全面解決を図るよう強く要求する。
 また,同時に,我々,原告団および弁護団は,中国「残留孤児」問題の全面的解決の実現まで,全力で戦うことをここに宣言する。
 最後に,この訴訟に対し,署名・傍聴活動等により絶大なるご支援をいただいた全国の支援者ならびに他地裁の原告団・弁護団の方々,そして原告らを勇気付ける温かい取材と報道に取り組まれたマスコミ各位に対し,心よりお礼を申し上げるとともに,今後も,全面解決に向けてのますますのご協力とご支援をお願いするものである。
以上

※兵庫弁護団HP
http://www16.ocn.ne.jp/~kojikobe/zanryukojitop.html


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 全 面 解 決 要 求       

  中国「残留孤児」国家賠償訴訟原告団全国連絡会
  中国「残留孤児」国家賠償訴訟弁護団全国連絡会
              

 中国「残留」日本人孤児は、日本の国策である満州移民政策が生み出した犠牲者である。にもかかわらず、日本政府が敗戦以来取ってきた孤児政策は、政策とは言えないほど貧困である。日本政府は、本訴訟を機に、「残留孤児」に対する施策を抜本的に転換し、「孤児問題」の全面解決を図るよう要求する。

1 責任の明確化と謝罪
(1) 早期帰国のための施策をとらずに「残留孤児」を中国に放置し、帰国後も十分な支援策を立案実施しなかったことの責任を認めること。
(2) その結果、「残留孤児」に多大な犠牲を強いたことに対し謝罪すること。

2 生活保障・生活支援
(1) 「中国残留邦人等の円滑な帰国の促進及び永住帰国後の自立支援に関する法律」(自立支援法)を改正し、国の責任において「残留孤児」の生活を保障する旨明記すること。
(2) 「残留孤児」の生活保障のため、「残留孤児」を対象とした新たな給付金制度を創設すること。
「残留孤児」が死亡した場合には、遺族年金として、配偶者に継承させること
(3) 残留孤児が、地域で孤立することなく、また安心して医療を受け、住宅を確保できるよう、生活全般にわたる支援制度を整備すること。
(4) 都道府県に1〜2カ所の日本語教育を受けることができる機関を設置すること。
(5) 働く意欲と能力のある者に労働の場を保障すること。

3 二世・三世対策
 下記のような二世・三世の自立を支援する施策を確立すること
(1) 就学・就労の支援を行うこと。
(2) 住宅確保の支援を行うこと。
(3) 国籍取得、在留資格の付与を容易にすること。特に国籍法附則第5条を改正して、女性孤児の子の国籍取得を容易にすること。
(4) 日本語教育の支援を充実すること。
(5) 安易に送還を行わず、残留孤児の家族であることに十分配慮すること。

4 歴史的検証・啓発活動
 具体的には、満州移民政策や引揚政策についての歴史的検証をすること、「残留孤児」が生まれた歴史を教育の場で教えること。

5 損害賠償
(1) 国の政策によって原告ら「残留孤児」が受けた損害を賠償すること。
(2) 訴訟遂行費用を支払うこと。

6 定期協議
「残留孤児」問題の抜本的解決のため、原告団・弁護団と厚生労働大臣が定期的に協議する場を設けること。

7 関連する事項
(1) 残留婦人にも同等の支援政策を行うこと
(2) 在中国「残留孤児」について、家族を分断することなく、希望する者の早期帰国をはかるなど、適切な施策をとること。
(3) 「残留孤児」の養父母について、国として、謝恩の事業など適切な施策をとること。

神戸地裁判決・勝訴!(日弁連会長談話)

 中国残留孤児国家賠償請求訴訟神戸地裁判決に対する会長談話

本日、神戸地方裁判所は、いわゆる中国残留孤児兵庫県訴訟において、厚生労働大臣の自立支援義務の懈怠を違法として、61名の原告に対する損害賠償を国に命じる判決を言い渡した。

当連合会は、1984年の人権擁護大会で、「中国残留邦人の帰還に関する決議」を採択し、中国残留孤児(以下単に「残留孤児」という)を含む中国残留邦人の日本国籍取得手続を速やかに整備して早期帰還を実現することや、自立を促進する特別の生活保障をするなどの特別立法を含む諸措置を速やかに講ずることを求めた。また、2004年3月には、当連合会に対してなされた人権救済申立を受けて、国に対して、帰国促進策等の徹底や戸籍回復・国籍取得手続の改善のほか、生活保護によらない特別の生活保障給付金制度の創設や日本国民が受給する平均金額以上の年金が受給可能となる所要の立法措置などを講ずることを勧告していた。

全国では約2500名の帰国した残留孤児が生活しているところ、2002年12月の東京地方裁判所への提訴を皮切りに、既に全国15の地方裁判所に、総数2000名を越える残留孤児が本件と同様の訴訟を提起している。

本日の判決は、政府が、残留孤児の帰国を合理的な根拠なしに制限したこと、残留孤児に対して永住帰国後5年間、日本語習得、就職活動、職業訓練に向けた支援を行い、これらに取り組むことができるような生活保持に向けた支援を行う法的義務があるのにこれを怠ったことを違法と評価したうえで、国の損害賠償責任を認めたものであり、残留孤児に対する支援に大きな一歩を踏み出す画期的なものとして歓迎する。

当連合会は、本日の判決を高く評価するとともに、政府及び国会がこれを重く受け止め、その責任において、残留孤児の老後の生活保障など支援施策の抜本的な見直しや立法措置を行うなどの施策を直ちに実現することを再度強く求めるものである。

2006(平成18)年12月1日

日本弁護士連合会
会長 平山 正剛

http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/statement/061201.html