これまで、中国残留日本人孤児等の取材を続けてこられた朝日新聞記者大久保真紀さんによる『中国残留日本人─「棄民」の経過と、帰国後の苦難』(高文研)が発売されました。
日本の敗戦により、「満州」に置き去りにされ、生きるために中国に残らざるを得なかった残留婦人・孤児たち。やっとの思いで祖国・日本に帰りついたが、そこに待っていたのは……。
新聞記者として20年にわたり、「国家」に翻弄される人びとに寄り添い、苦難の人生を見つめ続けたヒューマンドキュメント!
●目次
はじめに
T「原告番号1番」池田澄江さんのたどった60年
「日本政府は本当に冷たい」
世界一尊敬している養母のこと
養父母に預けられた経緯
貧乏のどん底へ
つのる祖国への想い
恐怖の文革時代
肉親の情報を求めて
「私の心は日本に届く」
祖国の土を踏む
まぶたの父は、父ではなかった
強制送還の恐怖
日本人なのに、日本国籍を取得できない?
正真正銘の日本人に
日本語の壁
弁護士事務所の事務員に
中国人の夫が日本社会になじむまで
子どもたちが猛烈ないじめに
娘が見つけた居場所
中国に残した養父母
奇跡の再会
「一歳」の誕生パーティー
「残留孤児」の生存権をかけて
原告団の代表として
U「強行帰国」で国を動かした12人の残留婦人
「祖国で死なせて」
「強行帰国」のリーダー
国友忠さんとの出会い
シベリアに抑留された夫は再婚していた
養家は布団もない極貧農家
「強行帰国」への準備
中国帰国孤児定着促進センターへ
記者会見で語った一二人の思い
「中国残留邦人等帰国促進・自立支援法」の成立
帰国後の暮らし
特別身元引受人との葛藤
精神的な上下関係
「国からお金をもらって、毎日遊び歩いている」
子どものためだけに生きてきた
「日本人の女の配給だ」
文革の嵐を生き抜いて
一回でいいから、中国に残した子どもに会いたい
たまたま死ねなかっただけ
五〇〇キロのコーリャンと交換で嫁に
中国から呼び寄せた家族が直面した「壁」
娘の「おしっこ!」がわからない
孫娘が弁論大会に出場
V 政府の強制退去命令とたたかった 井上さん家族の「きずな」
第二の家族離散
強制収容
二度目の強制収容
仮放免という身分
忘れられないキュウリの味
土地改革で生活が一変
帰国できなかった理由
下放された農村での生活
帰国までの長い道のり
一万円の生活保護の制約
中国に残した長女と次女を呼び寄せる
新たなたたかい──強制退去命令の取り消しを求めて
強制収容で一変した生活
敗訴──福岡地裁三〇一号法廷「棄却する」
控訴審開始
拘留一年一〇カ月後の仮放免
勝訴──福岡高裁五〇一号法廷「原判決を取り消す」
希望の歌「離れたくない」
「残留日本人」を生み出した歴史と残された課題
http://www.koubunken.co.jp/0375/0365.html
(高文研HP)