本日、東京地方裁判所は、いわゆる中国「残留婦人」ら3名による国家賠償請求訴訟において、原告らの請求を棄却する判決を下しました。
判決は、「残留婦人」らの置かれた悲惨で深刻な被害を認定し、これが「他の戦争被害とは異なる特性」を有することを認めました。
そして、@早期帰国義務違反に関しては、「外地の危険地帯への国策移民と危機発生時の国民保護政策立案の懈怠という先行行為が原因で原告ら長期未帰還者を大量発生させたのであるから、被告(国)は条理上その早期帰国を実現すべき政治的責務を負う」にもかかわらず、国はその責務を懈怠したとし、
A自立支援義務違反に関しては、「(残留婦人らは)自己の怠慢によってではなく、外地の危険地帯に国策移民を送出し、危機時の国民保護策を講じなかった政府の施策が原因で労働能力を喪失したものであるから、政府には補償措置を行うべき政治的責務があった」としたうえで、「生活保護運用上の問題や日本語教育の貧困さを、看過できない行政の執行の懈怠として、国家賠償法上も違法とすることも考えられる」としました。
しかしながら、その結論においては、「国家賠償法上の違法性を認めるには今一歩足りない」として原告らの請求を棄却しました。
※判決、判決要旨
http://kikokusha.at.infoseek.co.jp/
(中国帰国者の会HP)
上記判決をうけて、中国「残留孤児」弁護団は、次ぎの声明を発表しました。
声 明
2006年2月15日
中国「残留孤児」国家賠償請求訴訟弁護団(関東)
本日、東京地方裁判所民事第13部は、東京地方裁判所民事第28部に係属する中国残留孤児国家賠償集団訴訟と同種の被害を受けた3名の残留孤児・残留婦人の求める国家賠償請求訴訟において、不当にも請求棄却の判決を言い渡した。
言うまでもなく、中国残留孤児等は戦前の満州への移入国策を起点とし、敗戦直前直後の国家による棄民から生み出された者らであり、その発生の根本的な原因が時の政府の政策にあったことは疑いない。のみならず、政府は、終戦後長期間にわたり孤児らを日本に帰国させる努力を怠り、なかんずく1959年に未帰還者に対する特別措置法を制定して後は全くといってよいほど帰還援護を放棄し、そのため孤児らの帰国は大幅に遅れることとなり、早い者でも日中の国交回復を待たざるを得なかった。この間、多くの孤児は望郷の念を抱きながらも中国の地で生活することを余儀なくされ、実父母や親族との交流を断たれ、日本語をはじめとする日本文化と接触しこれを受容する機会を喪失せしめられた。
また、帰国の大幅に遅れた孤児らは人生の晩年に入っての帰国となるため、まず何よりも日本語の習得に困難を極め、このためあらゆる日常生活に支障を生ずることとなり、ごく普通の社会生活を送ることができないでいる。彼らは希望を持って祖国日本に帰国したにもかかわらず人間らしい生活を送れずにいる。それどころか物心両面において中国の地で暮らしていたときよりも貧しい生活を強いられているものが多い。にもかかわらず、政府が孤児らに行う生活支援はきわめて不十分なものであり、彼らが日本で自立し安心した生活をできるための援助とは程遠いものである。このことは、帰国後何年たっても多くの孤児が日本語を習得できないままでいることや孤児世帯の生活保護の受給状況などをみてもはっきりしていることである。
本日の判決は,残留孤児の置かれた悲惨で深刻な被害を認定し,それを戦争被害として受忍すべきだという立場をとらず,残留孤児を放置して救済しなかった被告国を厳しく批判した。この点は評価できると共に被告は厳しく且つ厳粛に受け止めるべきである。しかし,判決はそこまで述べていながら,「(違法性の)ハードルは高い」「今一歩足りない」などとして国を免責した。この点は,司法が果たすべき役割を放棄したものとして,到底受け入れることはできない。
私たちは,本判決の成果と限界を十分に踏まえて,これを一歩進め,国の政策の違法性を明確に認定する判決を求め邁進するものである。
中国残留婦人東京地裁判決についての会長談話
本日、東京地方裁判所は、中国残留婦人による国家賠償請求訴訟において、原告らの請求を棄却する判決を言い渡した。
本件は、2002年12月以降、全国の15の地方裁判所で約2100人の中国残留邦人が提起した国家賠償請求訴訟に先立ち、2001年12月、東京地方裁判所に提訴されていたものであり、中国残留婦人による国家賠償請求訴訟としては初めての判決である。
中国残留婦人を含む中国残留邦人の問題について、当連合会は、2004年3月、人権救済申立事件における調査をふまえ、国に対し、帰国促進策等の徹底、生活保護法によらない生活保障給付金の支給、特別の年金制度の策定、日本語教育のための制度の充実その他の生活支援策を検討・実施すべきであることを勧告していた。また、2005年7月には、中国残留孤児による国家賠償請求を棄却した大阪地裁判決を契機として、政府及び国会に対し、中国残留邦人の老後の所得保障など支援施策の抜本的な見直しや立法措置を行うなどの施策を早急に実現するよう求めていた。
本判決は、外地の危険地帯への国策移民と危機発生時の国民保護策立案の懈怠という先行行為を理由としてその早期帰国を実現すべき政治的責務の懈怠があったとしながら、原告らとの関係で看過できないほどの著しい政治的責務の懈怠がないとして、国家賠償法上は違法でないとした。また、中国残留邦人に対する自立支援施策がはなはだ不十分であったと指摘しながらも、国家賠償法上違法と評価されるまでの立法不作為や行政府の責務の懈怠はないと判示した。
しかし、中国残留婦人が本邦で置かれている実態は、本判決も指摘するとおり、「日本語教育の貧困は目をおおうばかりであり」、また、「国民一般の収入水準を下回る生活保護水準の生活を余儀なくされる者が多い」状況にある。にもかかわらず、中国残留婦人に対する帰国後の諸施策は、本邦への帰還の途を閉ざされ、長年にわたり中国に放置されてきたというその過酷な境遇に照らしても、未だ個人の尊厳を確保するに足りるものとはなっていない。
当連合会は、中国残留邦人の高齢化が進んでいる現状に鑑み、国会及び政府に対し、中国残留邦人の生活を保障する立法を含む諸措置を速やかに講じるようあらためて求めるものである。
2006(平成18)年2月15日
日本弁護士連合会
会長 梶谷 剛
日弁連HP
http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/statement/060215.html
声 明
2006年2月15日
中国残留邦人国家賠償請求訴訟弁護団
本日、東京地裁において、中国残留邦人国家賠償請求訴訟の判決が下された。
判決は当方が主張する事実について概ね認め、国に政治的責務があったこととして認定したものの、国家賠償法上の作為義務について極めて狭く解し、結果として国には違法性がないとして、請求を棄却した極めて不当なものであり、深い悲しみと憤りを禁じ得ない。
今回の判決においては、「中国残留婦人は自己の意思で残ったものではない」「他の戦争被害者と異なる特殊性がある」と断じ、従前の国の主張を退け、また、これまでの国の施策の不備や遅れを多岐にわたり指摘し認定したり、歴史的経緯においても踏み込んだ認定を行うなど評価できる内容が含まれている。
しかしながら、国の早期帰国義務・自立支援義務について幅広い裁量論に立ったり、国のさまざまな不作為に対して国の政治的責務を多言することで、裁判所としての判断を避けており、中国残留邦人問題の本質をどこまでふまえて判断されたか深い疑問を持つ。こうした国の義務違反に対する今回の判断においては、昨年の大阪地裁の中国残留孤児集団訴訟の判決より後退したものといえ、その意味でも不当である。
なお、結果として、今回不当な判決が下されたが、裁判所が、判決において国の政治的責務を多言していることは、翻って、この問題が立法・行政においての解決を要請しているものと解され、国の中国残留邦人問題の解決に向けての責務は何ら減ぜられるものではなく、むしろ一層明確になったものといえる。
総じて判決は、中国残留邦人にとって厳しいものとして到底承服できるものではなく直ちに控訴を準備したい。同時に、今後、本日の判決内容を十分に吟味し、さまざまな側面から、一日も早く、中国残留邦人問題の全面解決に向けて活動の展開を強めていくことを決意するものである。
中国帰国者の会HP
http://kikokusha.at.infoseek.co.jp/
国を訴えた中国「残留日本人孤児」たち
中国で苦難の人生を過ごし、やっとの思いで帰国した中国「残留孤児」は約2400名、その7割を超える人たちが国を被告として裁判を闘っています。何故「孤児」たちは裁判に立ち上がったのでしょうか?
1 中国「残留日本人孤児」は何故生まれたか?(第1の棄民)
1932年「満州国」が「建国」されると、国は植民地支配や対ソ連防衛等のため移民事業を国策と位置づけ、1945年までに32万人余りの国民を開拓民として「満州」(中国東北部)に送り出しました。
ところが、1945年8月ソ連軍が満州に侵攻すると、開拓民等を保護すべき日本軍(関東軍)は軍人とその家族等の避難を優先し開拓民等を保護せず撤退しました。また、国は終戦後も在満邦人の現地土着方針をとり、引揚げは大幅に遅れました。
そのため、「根こそぎ動員」により、老人・女性・子どもしか残されていなかった開拓民の避難は悲惨を極め、ソ連軍や日本に土地を奪われた中国人等の襲撃、集団自決、栄養失調、伝染病等により多くの命が失われました。
「残留孤児」はこうして親を失い、離別し、中国人に引き取られた人たちです。「孤児」たちは自分の意志で中国に「残留」したのではなく、国に置き去り(棄民)にされたのです。
2 国に置き去りにされ40年−遅すぎた帰国措置(第2の棄民)
戦後、国交断絶等により中国からの引揚げが途絶えると、国は1959年に「孤児」を死者として扱うことができる法律を制定し、多くの「孤児」を戸籍から抹消して帰国援助等の政策を放棄しました。
1972年に日中の国交は回復しましたが、国は積極的に「孤児」の肉親捜し等に取り組まず、「孤児」を日本に招いての肉親捜しの訪日調査が始まったのは国交が回復して9年後の1981年でした。しかも、国は「孤児」の帰国に際し身元保証人を要求するなどの制約を課したため「孤児」たちの永住帰国はさらに遅れ、永住帰国が本格化したのは1986年になってからでした。「孤児」たちは、終戦後40年以上も帰国を待たされたのです。
この間、「孤児」たちは中国人の養父母に育てられながら中国の言語、生活習慣等を身につけていきましたが、日本の侵略戦争の責任を一身に背負わされて迫害されるなど少なからぬ「孤児」が中国において苦難の人生を過ごしました。
3 冷たい祖国−不十分な自立支援策(第3の棄民)
祖国日本を慕ってやっと帰国した「孤児」たちに対する国の対応は冷たいものでした。
国は「孤児」に対し、十分な自立支援策を施すことのないまま、生活保護からの「自立」するよう促しました。そのため、「孤児」たちは日本語も不十分なまま低賃金・重労働な仕事への就労を余儀なくされました。
その結果、「孤児」たちの約9割が今でも十分に日本語を話せません。また、「孤児」の約7割が生活保護を受けざるをえず、悲惨な生活を強いられています。北朝鮮による拉致被害者に対する処遇とは大きな違いです。
「孤児」たちは人並みの老後の保障を求めて国会請願を繰り返しましたが、いずれも不採択に終わりました。そこで、「孤児」たちは、人間としての尊厳を回復するため裁判を決意するに至ったのです。
※年表はこちら
http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/nenpyou.html
※全国の提訴状況(最新)はこちら
http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/upfile/36.htm
原告団代表のお願い
東京訴訟原告団代表 池田澄江
私たち中国「残留日本人孤児」は、1000名以上が団結して、国が長年中国に放置して帰国を遅らせたことと帰国後の支援策が極めて不十分であったことの責任を追及して、東京地裁に裁判を起しています。今年は裁判の結論がでる大事な年です。また、弁護団、支援の皆さんとともに、私たちの要求を実現していくための100万人署名活動を行っています。皆様のご協力をお願いいたします。
私たちの目標は、「孤児」が普通の日本人らしく生活できることと、すべての人々が平等で、世界中が平和になることです。
私たち原告団は、自信をもって固く団結し、弁護団や支援の皆さんの支えを受け勝利に向けてがんばっていきますので、一層の暖かいご支援をよろしくお願いいたします。
日本軍の身代わりとして殺された父
田中文治(未判明・1988年帰国)
私はソ連軍が攻めてきたとき5歳でしたが、父母と妹の4人で何日も山野を逃げ回りました。途中で母と妹を見失い、今も会えないままです。やっとのおもいで父と二人が古城鎮という駅に着きましたが、そこで大勢の中国人に取り囲まれ、父は私の目の前で撲殺されました。父の最期の姿は今も忘れることはできません。
父は、戦前中国を侵略した日本軍の身代わりとして殺されたのです。
祖国での人間らしい暮らしを
藤本淑子(未判明・1997年帰国)
私は,幼い頃から母の国を思い続けてきました。肉親探しのため日本政府に何十通もの手紙を書いたのに,何年も返事をもらえず帰国が遅れてしまいました。
職もなく,やむなく生活保護で暮らしていますが,養母の病気見舞いのため中国に行こうとすると,役所から養母の入院証明書を要求されたり,生活費をストップされるなど厳しい制約を受け,とても辛いです。
祖国での人間らしい暮らしを切に願っています。
弁護団長の訴え
東京訴訟弁護団長 鈴木經夫
国から見捨てられた中国帰国者たちは、救いのない生活を送ってきました。生活保護を受け、近隣から孤立し、その子や孫も適応に苦しんでいます。やり場のない怒りと悲しみで心いっぱいでした。しかし、支援の皆さまのご協力、「孤児」自らの駅頭等での署名活動、60万筆に及ぶその成果は、国への働きかけとなるのはもちろん、「孤児」たちをどれほど勇気づけたでしょうか。
今「残留孤児」訴訟の原告団と弁護団とは一体となって、勝利に向けて懸命の努力を続けています。戦後60年放置されてきたこの問題を、何としても解決しましょう。皆さん、署名に、支援に、いっそうのご協力をお願いします。
100万人署名にご協力ください
私たちは、100万筆を目標に内閣総理大臣宛の下記事項を請願内容とする署名活動を行っています。2004年10月には48万筆を内閣府に提出しました。「孤児」に対する国の誤った政策を改めさせるため、みなさまのご協力をお願い致します。
1 国は、中国「残留孤児」に対してとってきた長年の政策の誤りを認め、「孤児」に対して謝罪すること。
2 国は、「孤児」に対し、残された人生を人間らしく生きるにふさわし補償制度を確立すること。
呼びかけ人
石坂啓(漫画家)、井手孫六(作家)、井上ひさし(作家)、永六輔(放送作家)、衛藤瀋吉(東京大学名誉教授)、加藤登紀子(歌手)、小林カツ代(料理研究家)、坂本龍彦(ジャーナリスト)、佐野洋(作家)、ジェームス三木(脚本家)、新藤兼人(映画監督)、曾徳深(横浜華僑総会会長)、ちばてつや(漫画家)、仲代達也(俳優)、なかにし礼(作家)、羽田澄子(記録映画作家)、林郁(作家)、古谷三敏(漫画家)、山崎朋子(ノンフィクション作家)、山田洋次(映画監督)、渡辺一枝(作家)
中国「残留孤児」の人間回復を求める市民連絡会
〒141-0022
東京都品川区東五反田1-13-2
五反田富士ビル5F
五反田法律事務所
TEL/FAX 03-3447-1620
募金口座
口座名
「中国残留孤児人間回復運動支援基金」
銀行
東京三菱銀行 五反田支店
普通預金口座 2076999
郵便局
00130-0-581422
この運動は皆様からの募金で成り立っています。
※署名用紙はこちら
http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/diary.cgi?no=3