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最近の日記

『異国の父母−中国残留孤児を育てた養父母の群像』

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岩波書店より、『異国の父母−中国残留孤児を育てた養父母の群像』(浅野慎一、トウガン・著)が発売されました。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9980382473

敗戦後の中国東北部で日本人孤児を育てた養父母は1万人とも言われるが,高齢のため現在,体験を語れる人は少ない.彼らはどんな思いで異国の子どもを育て,その日本への帰国を見つめてきたのか.いま何を思うのか.現地で行われた貴重な聞き取り調査の記録.孤児,実子,近隣の人びととの関係を含め彼らの人生は一様ではなく,誰もが深い感慨を残す.

はじめに
第 I 部 群像
1 子供を捨てて逃げた日本人は賢明だった――孔 紹 仁
2 暴行と流産を越えて――――――瀋 鳳 賢
3 日本に行かないで――――――馬 文 玉
4 行方不明になった残留孤児――――――王 雲 香
5 とにかく一緒に暮らしたい――――――何 秀 玉
6 寝たきりの養父とともに――――――李 福 栄
7 交通事故にあった息子を想って――――――朱 郷 英
8 それでもあの子を育ててよかった――――――徐 貴 祥
9 貧しい農村で娘を待ち焦がれる――――――劉 恵 芬
10 回民族のコミュニティで子供を育む――――――楊 淑 珍
11 中国を選んだ残留孤児――――――張 桂 芝
12 息子が苦しむ夢を見て――――――黄 秋 香
13 日本のスパイといわれて――――――段 亜 蓮
14 別離の葛藤――――――――――趙 麗 芳
第II部 解説
1 生活の歩み
 プロフィール
 戦争による被害
 残留孤児との出会い
 残留孤児を引き取った動機
 日本人であること
 養育と愛情
 文化大革命の迫害と隠蔽
 国交回復と肉親捜し
 養子の葛藤
 永住帰国
 改革開放・グローバリゼーションと貧困化
2 現在の生活と意識
 養父母は今
 居住環境と社会関係
 残留孤児一家は今
 残留孤児との往来
 関係の途絶とその背景
3 日本政府・日本社会への要望
 残留孤児の生活支援と永住帰国支援
 養父母への生活支援
 家族の再開・交流・再結合への支援と日中友好
あとがき
中国残留日本人,養父母関連年表および表

浅野 慎一(アサノ シンイチ)
1956年生まれ.北海道大学大学院教育学研究科博士後期課程修了.博士(教育学).現在,神戸大学発達科学部教授.主な著書に『日本で学ぶアジア系外国人』(大学教育出版),『海外における日本人,日本の中の外国人』(共著,昭和堂).論文に「多民族社会・日本における階級・階層構造と文化変容」 『フォーラム現代社会学』第2号(世界思想社),「出稼ぎブラジル人と日本人の労働と文化変容」『日本労働社会学会年報』第14号(共著,東信堂),「中国人留学生・就学生の実態と受け入れ政策の転換」『労働法律旬報』No.1576(旬報社)など.

(トウガン)
1965年生まれ.中国遼寧省瀋陽市出身. 瀋陽大学卒,宮城教育大学大学院修士課程修了.現在,龍谷大学,園田女子学園大学,神戸学院大学等で非常勤講師.西日本華文教育者協会理事.浅野との共訳書に『世紀末・中国』(中国ジャーナリスト集団著,東銀座出版社).論文に「縫製業における中国人技能実習生・研修生の日本語習得に関する実証的研究」(『中国学論集』翠書房)など.


『国に棄てられるということ−「中国残留婦人」はなぜ国を訴えたか』(小川津根子、石井小夜子・著)
http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/diary.cgi?no=124

『だれにも言えない中国残留孤児の心のうち』(埜口阿文・著)
http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/diary.cgi?no=123

『満州楽土に消ゆ 憲兵になった少年』(神奈川新聞社編集局報道部 編)
http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/diary.cgi?no=78

『父母の国よ−中国残留孤児たちはいま』(写真・文 鈴木賢士)
http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/diary.cgi?no=60

『ああわが祖国よ−国を訴えた中国残留日本人孤児たち』(大久保真紀・著)
http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/diary.cgi?no=130

※書籍の紹介
http://www.geocities.jp/genkokusien/index10f.html

100万人署名、目標達成まであと一歩

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 これまで100万筆を目標に取り組んできた内閣総理大臣宛「中国残留孤児の人間性の回復を求める請願」署名ですが、既に内閣府に提出した分と現在市民連絡会事務局に集約されている分の合計が、2006年1月23日現在97万2964筆に達しました。
 目標達成まであと一歩です。引き続きご支援ご協力をお願い致します。

中国「残留孤児」の人間回復を求める市民連絡会
〒141-0022
東京都品川区東五反田1-13-2
五反田富士ビル5F
五反田法律事務所
TEL/FAX 03-3447-1620

※署名用紙はこちら
http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/diary.cgi?no=3

謹賀新年

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 明けましておめでとうございます。
 今年は、中国「残留孤児」訴訟にとって“再決戦”の年です。
 更なるご支援を宜しくお願い致します。

 2006年元旦

各地で追加提訴

12月7日高知地裁で1名が、12日仙台地裁で21名が、27日長野地裁で12名がそれぞれ追加提訴しました。

長野地裁の追加提訴について
http://blogs.yahoo.co.jp/genkokusien/22326443.html

全国の提訴状況
http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/upfile/36.htm

最後の原告本人尋問

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 12月22日、東京地裁で原告3名の本人尋問が行われました。

 最初に証言台に立った横浜市在住のW.Tさん(女性)は、耐えられず自殺を図るほど養母からひどい虐待を受けましたが、必ず迎えに来るといった母の言葉を信じ養母の家を離れられなかったことや、訪日調査で日本に来たときに自分の母親かもしれないと思われた人が既に亡くなっていたことを知った悲しみなどについて語りました。
 次に証言台に立った千葉県在住のK.Mさん(女性)は、日本語で供述しました。Kさんは中国で学校に通えず、中国語の読み書きさえ十分に出来なかったのに、帰国したい一心で必死で日本語を独学したこと、帰国後、自分が学校に行けなかったため、せめて子どもたちには学校に行かせてあげたいとの思いからパートで収入を得たところ、生活保護費の支給が停止され、その後支給が再開されたものの毎月3万円づつ生活保護費が削られ大変困窮したことなどについて語りました。このことからも、生活保護がいかに「残留孤児」に馴染まない制度であるかが明らかになりました。
 最後に原告団代表の1人である池田澄江さん(写真)が証言台に立ちました。池田さんはご自身の帰国への努力と祖国の冷たい対応、肉親との奇蹟の再会と帰国後の苦難について語られたほか、法律事務所の事務員として就籍申立手続きを担当して1000名を超える「孤児」たちの人生に触れてきたこと、「孤児」たちが団結して裁判に立ち上がった経緯について語り、最後に裁判官に対して、次のように訴えかけました。

「私たちは日本語のできない一番弱い日本国民です。
 大阪判決は、私たち「孤児」に対し、戦争被害だからがまんしなさいと言いました。しかし、私たちは自分の意思で中国に残ったのではありません。しかも、中国では侵略者日本の子として、戦争責任を背負って、苦しくみじめな運命を生きてきました。
 残留孤児は、誰でも自分の本当のことを知りたい。親に会いたい、母の祖国に帰りたい。でも、日本政府は、私たちを捜そう、日本に連れ戻そうとしてくれませんでした。ようやく日本に帰ってきた私たちにとって、日本は、生きていくのに悲しく、苦しい、冷たい祖国でした。
 私たちの残りの人生はもう長くない。せめて祖国で、普通の日本人のように人間らしく生きたいのです。大阪判決のような私たちを裏切る判決をしないで下さい。私たちを救うような、人生を変えるような判決をください。一度でいいから、私たちが帰ってきてよかったと思えるような祖国にして下さい。」

 池田さんが、供述を終えると、自然と傍聴席からは拍手が湧き起こりました。

 これにて、原告本人尋問は終わりました。次回、歴史研究者に対する証人尋問が行われた後、いよいよ、来年5月24日に結審となります。
 来年は「残留孤児」訴訟にとって再決戦の年となります。引き続きのご支援をお願い致します。

〇次回期日は、以下のとおりです。
2006年2月21日(火)午前10時〜午後5時 証人尋問
 ※場所:東京地方裁判所103号法廷
 ※傍聴するには傍聴券が必要です。傍聴券の抽選は午前9時30分

※2005年11月8日原告本人尋問
http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/diary.cgi?no=113
※2005年8月31日原告本人尋問
http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/diary.cgi?no=91