最近の日記

道ばたきょろきょろ

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 前を見てさっそう歩く。そうはいかない。どこを歩いていてもきょろきょろして落ち着きがない。なんか面白いことないかな。美味しい物ないかな。街角に目がいく。
 「落ち着きがない」と言われたのは小学校の時からである。6年間ずっと私の担任、心配し続けてくれた先生は今ご病気で療養中である。事務所移転のお知らせハガキに奥様が丁寧なご返事を下さった。「主人には何度も、おはがきの文面を読みきかせました。はがきを手にとり、『さすがだな』の連発でおりました」1年生で先生に会ったとき先生は20代、眼鏡をかけたきまじめな青年教師でした。しばらくして音楽の先生だったきれいな奥様と結婚しました。みんなでわくわくしました。理科の先生だったのですが宮沢賢治「雨ニモマケズ」の詩が教室の黒板の上に大きく書いてありました。「とにかく何でも負けちゃいけないんだべ」早とちりで落ち着きのない私は詩の後段など読みもせずこの詩をただ負けちゃいけない標語だと思っていた。ほっぺたのあかぎれが酷くて血まで出ていた。みょうに元気で現実的な女子だったのである。
 先生全然「さすが」じゃないんです。落ち着きのないのも、早とちりなのも、そそっかしいのも先生に言われたまま、もう半世紀も生きて来ました。それでも先生は誉めてくれますか。
 とっておきの1枚の取材で尾山先生宅へ伺う途中、小田急線経堂から農大通りの街角。顔の小さなお地蔵様。よだれかけが有るからお地蔵様でしょう。家内安全をとなえて手を合わせた。次は新宿通から事務所にはいる小路にあるカエルの石像。ひどく大きくて不思議。どうしてここにいるのか。自宅から駅に行く遊歩道の途中でみーんみーんと一人うるさいセミ。手を伸ばせばすぐの木の枝にいる。そんなところにいると悪ガキの餌食だな。

愛しのシュウマイ弁当

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 皆さんはご存じだろうか。横浜崎陽軒の「シュウマイ弁当」は710円である。シュウマイは5個入っている。ごはんも美味しいしシュウマイ以外のおかずも美味しい。しかし、私が選ぶのはこれではない。「お好み弁当」510円である。シュウマイは2個、ぐっと差がつく。おかずも少し見劣りする。ごはんは同じ。でも200円の差があるとは思えない。シュウマイが2個しかないので愛おしさが増し、しみじみ美味しいのである。慎ましやかな喜びが広がる。うふふという感じかな。御茶を買ってもおつりが来る。
 しかし首都圏の駅で見かける崎陽軒売り場ではなかなか見つからない。通るたびにチェックするのだがヒットしないのである。「お好み弁当」探しは無意識の動作になっているぐらいである。と言ってそれを求めて買いに行くと言うことはない。通りがかりにちらっと見るのだけ。見つけると絶対に買う。どんな時間でも。
 「シューマイ弁当」は包み紙があって竜の絵と玉が格調高く描かれている。ひもまで掛けられ堂々とスター弁当。お好みちゃんは紙の弁当自体が包装になっていてひももない。絵もご覧のとおり。何しろ崎陽軒のお弁当ラインナップに載っていない。外れみそっかすなのである。隠れたファンがいるにちがいなく店に並ぶと連れて行かれてしまう。
 なぜ今日ゲットしたかというとデパ地下にいったからである。美味しい紅茶とコーヒーを求めてさまよっているうちに見つけた。そのうえ例の「たねや」の店舗前にでてしまったのである。本生水羊羹を送ってくださった方が今日打ち合わせに来る。お返しに季節限定黒蜜団子を買い求める。
 お昼にお好み弁当とほうじ茶、三時は黒蜜団子と緑茶。一人密かに心騒いでいる。たねやの包装紙書かれている絵がいいな。さすが近江商人。付加価値の付け方がにくい。

ただ御茶を挽く

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 朝から何やかやとうろうろしていていったい私の職業は何なんだろうと反省する。
 土日の雑事やお買い物成果をひととおりみんなに披露。食器に凝ると思われている私が100円ショップで小振りの曇りガラスのグラスを調達。これが100円には見えない品のよさである。手始めに4個買ってみんなに一応了解を得て追加の買い物に走る。自宅近くのダイソーで残り8個を買い占めて1ダースになったのです。土日はそれで冷蔵庫にある飲み物を端から飲んで日曜日にはビールまで行きました。値段とお気に入り度は無関係である。
 ちょっと張り込んだ黒の茶托におくとクラッシックな美しさである。肉厚なのが時代物風である。曇りガラスが飲み物を入れるとぬれてぼんやり透けてくる。ほら昔の窓ガラスぬれると外が見えるじゃない。あれなのよ。
 二階の応接スペースはシンプルモダンだったのが急にエスニック調に変身。音の反響を調整するためラグやテーブルクロスが必要になったからである。新宿3丁目の生地のディスカウント店でお買いあげ。メータ何百円の世界である。
 いい加減にしてよの節子さんは「どうでもいいからね」と「ああそうですか」の世界である。百円でも何千円でもどうぞご自由にと適当に聞き流している。仕事が忙しいのでかまっていられないのである。
 御茶を挽いてばかりいるのは私。送っていただいた大きなお茶のカンがあるので挽かなくていいのに、何かと冷蔵庫によりまくっている。美味しいなしの到来物もあるし、キハチのお菓子にゼリー、冷たい紅茶、牛乳にアイスコーヒーで濃厚なアイスオーレもある。
夕方、前の事務所のスタッフの女性が現れた。今さっき電話で話していたと思ったら「先生こんにちわ」だって。すぐそこなんだから驚くことはない。「先生事務所にちっともいらっしゃらないじゃないですか」。なんだかやることが多くて里帰りの暇がないのである。「事務所すてきですね」と言ったので彼女には冷蔵庫の中味を見せつけた上でゼリーとアイスオーレ強制的に与えた。そのお礼に元同僚の節子さんと仕事までしていってくれた。
 やさしくて有能なみんなに囲まれてしあわせな私である。

満月に足りない月夜

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 十三夜の月が夏の夜空に出ている。十時すぎに事務所を出るとまず事務所の角の路地の上に見える。雲がかかって少しかすんでいる。四谷駅までずんずん歩いていくと今度は四谷一中のグランド越しに広々と空を占領している。外堀通りを渡って地下鉄四谷駅に着くまで迎賓館までのはんてん木の街路樹の上にいつまでも待っている。あと二夜で満月の月は左側がゆがんでいる。空気が暑くてすっきりしないのか月も輪郭がぼけている。街路灯の光に負けて元気がない。月を見ると心和む。
 スーパーで安売り105円の「今風ハイ」を探して、野菜半額売れ残りワゴンに行き「今日は何もない」とちょっとがっかりする。悪玉コレステロールを駆逐するため豆腐を買う。これにかける薬味に工夫がある。石垣島産の島ラー油、このうまさにキュウリ、ザーサイ、大葉などのみじん切りを加える。これが絶品。 
 食料調達後はひたすら早足で帰る。11時にはBBC制作の「アウシュビッツ3」が始まる。放映しているのはNHK。夕食抜きのこの時間お腹が空いている。画面はリアルで深く辛い。食べたいけど見たい。「1年間に170万人か」ため息をつきながら豆腐を食べる。美味いけど悲しい。
 月だの豆腐だのの日常があのときもあったのだろうか。あのときも人は月を見ていたのだろうか。放送が終わる頃宴会も終わる。ちぐはぐな日常の時が進んでいく。
 次の日知人から花が送られてきた。アレンジが何ともよい。カサブランカが緑のなかでシックである。南青山ル・ベスベからわざわざ送ってくれた。さすが。私だって密かにこんなマダムになりたいとおもっている。ベトナムから100円で買てきたホテイアオイとトンボのカップにランをアレンジした。だからなんだって言うの。ほど遠いセンスである。

水羊羹のしあわせ

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 事務所に着くと机の上のクール宅急便。昨日つらい打ち合わせをした方からのお届け物である。なにやら重く心うきうき。伝票にのどごし水羊羹とある。まさかあれでは。あれじゃないよね。念ずればかなう。控えめな包装、さりげないひもをぷちんと切ると出てきました「たねや」の「本生水羊羹」。うれしい。いつもやさしく距離を持って食べ物に接する節子さんもすすすと近づいて来る。「これ美味しいのよ」
 冷えているしこうなったら早めの10時、速攻で食べることにする。カウンターに立ったままみんなでいただく。やさしくやわらかな甘さの餡が口の中でぐずぐずと溶ける。「美味しい」「美味しい」と言いながらみんな満足。しばらくは冷蔵庫を開けるのが楽しみである。それに和菓子系はローカロリーだし。
 「たねや」は近江八幡にある和菓子屋さん。近江職人は東国に上ってデパ地下などで店開きをし、今では東京に支店を持つ。東北人の私には餡革命の味である。
 午後になって「弥勒」経理2人組が経理の打ち合わせをしていた。節子、奥津の2人である。「澤藤先生のプラムと上等な水羊羹を食べてね」奥津先生はすかさず「そのプラムを食べると頭がよくなりますかね」。同じことを滝沢パソコンマンも言っていた。「なりません。バカはバカのままです」断定する私。 澤藤先生は神格化されている。御利益はない。美味しいだけである。水羊羹とは絶対に一緒に食べないように。
 食べてばかりいる弁護士。法律事務所に行列はできない。

悪い商人は西からやってくる

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 長くなった家裁の調停から帰ると何やらトマトの箱が届いていた。送り主は「澤藤統一郎」。トマトまで作っていたのか。待てよ送り状には果実とある。わかったもんね。あの自慢のプラムでしょう。きっと2階の窓から採ったんでしょう。悔しいけどうれしい。
 文京区本郷産の無農薬プラムである。一番熟れて果汁が滴っているのをがぶり。甘い果汁が口に広がり歯の間に果肉の繊維質が引っかかる。不ぞろいのみんながそろって箱の中。鳥ではなく人間に食われる運命になった。一日冷蔵してまた明日である。
 澤藤さんちには優秀な庭師がいて庭を丹精しているらしい。前に息子さんが庭の梔子の花を持って事務所に現れたことがある。切り口に水、ティッシュサとランラップで巻かれていた。
 何しろ私は澤藤先生が大好きで、ひいきの引き倒しのように誉めまくっている。本人はいやそうにしている。誉め言葉に知性が足りないのできっと恥ずかしいに違いない。その先生を「連れの庭師」が「私はもう夫と息子のことは考えたくないんです」なんて言っている。日民協の会議が終わるといつも電話するのに。考えたくなくなるぐらいに思っているってことね。自宅事務所の先生はいつも女房の手のひらの上にいるんだって。
 わからないことがあったら何でも澤藤先生に聞くといいんだって思っていたのに。事務局長日記が終わって道に迷ったような毎日の私。
 20年以上も前、先生は消費者事件の弁護団会議のとき盛岡から上京して「悪い商人は西からやってくる」とおっしゃった。この人は宮沢賢治だと私は思った。
 「良い人は北からやってくる」盛岡から東京に、澤藤先生の銀河鉄道は本郷駅に止まっている。

若葉町の昼下がり

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 お盆の休みなのか町はまだ静かである。電車も道路もだ空いている。引越しから2週間めで夏休みも心もとなく毎日事務所で暮らしている。今日からはスタッフも集まりそれぞれてきぱきとお仕事中。じゃましに行くと適当にあしらわれる。みんな真面目で私だけいいかげんな性格なのでる。

 ついこないだまでいた事務所はとなり町とはいえ歩いてすぐ3分、ちょっと行くとビルが見える。事務所もお休みだったらしく通り掛かりに見上げても電気がついていない日が続いていた。

 小路を入った所に移っただけなのに大通りまで食事に出るのがやけに遠い気がする。仲良くしていた郵便やさんも宅急便屋さんも毎日来てくれていた信金の担当者もみんな変わった。みんな小さな区割りで木目細かに仕事をしているのである。郵便屋さんは女性。今日もバイクに乗ってきりりとお仕事。「暑いのに大変ですね。若い女性でめずらしい」と言うと「私子どもがいるんです」と言いながら顔を隠してしまった。今度は麦茶でも飲んでいってね。

 事務所の前を老夫婦が支え合いながら歩いていく。一人では足元が危ういのに二人で腕を取りバランスをとりながらゆっくりと角を曲がっていく。大通りからずっと同じ調子で淡々と歩いてくる。角を曲がって家の玄関まで何を話しながら歩いているのだろうか。

 いろんな人が事務所の前の路地を渡っていく。若葉町の昼下がり。昼顔のようにやさしい。

心で飽食 〈デブの悲しみ2〉

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8月15日終戦の日。東京新聞の記憶―20代記者が受け継ぐ戦争「生きてくれていさえいれば」に胸が詰る。出産間際の20代の女性記者が中国で弟と生き別れた北海道に住む68歳の女性を取材する。「かあたん、かあたん」と泣き叫ぶ弟の声。泣き崩れる母。直後から母は精神を病み赤ちゃんの泣き声を聞くと人が変わって「クニちゃんだ」と言い張るようになったという。6年前、旧満州を訪ねることになったその女性に80代半ばになった母は強く言う。「絶対に捜さないで。ご夫婦との約束だから。きっと幸せに暮らしているんだろうから」。東京新聞は今一番好きな新聞である。

 胸が詰ったのに私のお腹は減る。いつもひいきの北海道お昼のバイキングに行ってしまう。さすがに人は少ないが、いつもの食べ物たちが「久しぶりね」と勢揃いである。「ごめんごめん」このところご無沙汰だったものといそいそする私なのである。もうぱくぱく状態で一渡りご挨拶である。バイキングはほんとうにこわい。あれもちょっとこれもちょっとと際限なく食べ始めるのである。最後にご飯と味噌汁、漬物でしめる。デザートは4種類のゼリー、もちろん早めに確保。

 「北海道に行こう」と言うとみんなギョッとするが美味いのよ。なんて言うかお惣菜にちょっと毛が生えたような安心できる食べ物たちなのである。筑前煮といかと大根の煮物その脇にあじのフライ、卵焼きは絶対にはずさない。うどんもある。今日はブロコリーのゆで方が良く5個もいただく。あれもこれもやめられない。食い散らかした状態から見て900円じゃ悪いかも知れない。

 そして「苦しい、夕食は食べないぞ」と店をでる。「1日1回、コーリャンのおかゆとカボチャだけの食事。栄養不足でクニちゃんは1歳過ぎても、歯がほとんど生えなかった」私にはきっとばちがあたる。戦後60年、腑抜けた飽食がわが姿である。

その場所の夏

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 10時横浜地裁川崎支部。駅前は再開発でビルが建ち並び、裁判所までの道も街路樹が大きく見事である。第1京浜の上の大きな歩道橋を超えるとどこか殺伐とした匂いがする。裁判所の裏は川崎競馬場、斜め前は競輪場。ワンメータで不快そうな顔が目に浮かぶ駅待ちのタクシーは避けて歩く。裁判所の前にも無粋な横断歩道橋。これが無いだけで町は息づくのに。
 弁論が終って帰り道、まだ「藪伊豆」は開店前である。ここで蕎麦をたぐるのが楽しみなのにこの時間では。時々一杯飲んじゃうもんね。地下1階にある「藪伊豆」前の喫茶店はとっくに店じまいをしてしまった。仕方ないので駅にもどると駅ビルに知った店ばかり並んでいる。
 つまみ食いもせずに一路東京地裁に。いつも口ばかり動かして遊んでばかりいると思っている人がいたら考えを改めてもらいたい。事務所が休みになっているのにこの仕事ぶりである。
 昼近く四谷についてただいま。事務所までの道すがら芙蓉、夾竹桃、百日紅、夏の木の花が満開である。大きな枝を広げるケヤキの下を通ると涼しさと蝉の声。12時にはイグナチオの鐘が事務所に帰る私の肩越しに聞こえる。事務所の前に来るとゴーン寺の鐘の音。私の町である。
 鯛焼き屋の若葉も夏仕様で店の前にはかき氷の案内、水車の水がラムネの上にきらきらとふりかかっている。
 それぞれの場所で夏が過ぎていく。

食事一秒デブ一生  〈デブの悲しみ1〉

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  私の日常の関心事第一は食事。第二は人。どちらも私の心をとらえて離さない。当たり前か。グルメと言うより食い意地がはっているのである。
 「入れ歯にしないで美味しく食事を食べられるのはあと何回だろう」。私だって体調が悪いこともあるから365日三食完食できる訳ではない。三食で1095回、1000回でいいところである。10年でわずか1万回。この一食を無駄にしてなるものか。
 B級C級なら我が食欲を満たす程度の収入はある。バカ食いはできなくなっているし、質より量の時代はさすがに卒業した。昨日の遅い昼食は今思っても腹が立つ。くそあんな物で食欲を満たしてしまった。不味くて普通の値段、そしてお腹がいっぱいで夜まで胃がもたれた。途中で止める根性が無く全部食べてしまったのである。寝るまで残念とぼやきまくった。
 満足度は値段、美味しさのバランス。その時の気分。座標軸がずれまくる。いい加減なのである。食欲と気分で自己評価しているだけである。満足度が高いとデブでどこが悪いと居直りながらも明日も充実しようと気合いを入れる。満足度が低いと最悪、「美味い物食ってやる」となるわけである。 そしてデブ一生はご覧のとおりである。
 今日の夕食は事務所の机でビール片手に六本105円のキュウリ、一枚105円のアジのフライ、一個105円の大きいおむすび、筑前煮と切り干し大根は合わせて406円、ビールはお中元でいただいた物。後ろにあるバナナの5本つつみは脈絡無く買ってきてしまった見切り品105円である。これはだれも手を出さずお持ち帰りとなった。4人で1000円にもならない。消費税込みの値段だから105円、ほんとに100円に弱い私。25年御用達のスーパー丸栄で調達した。
 付き合わされた滝沢さん吉田さんはともかく私は大満足の夕食でした。