プロフィール

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名前
尾山宏
生年月日
1930年12月29日生。東京で生まれた後、北九州小倉に移住
経歴
1953年東京大学法学部卒/1956年弁護士開業 1957年愛媛県の勤務評定反対闘争に派遣される。 1988年日本教職員組合常駐顧問弁護士に。 日教組分裂で顧問辞任。 読書大好きの弁護士です。

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No.2の記事

日本の民主主義について

                                       
 前回に続けて陶潜その他の中国の詩人の詩について書きたいが、急を要する現実問題があるので、以下、4―5回をかけて、日本の民主主義かかわる本を紹介しながら、私の意見を述べてみたい。
 東京都立学校の日の丸・君が代強制反対訴訟(その内のいわゆる予防訴訟)の証人として大田堯先生に証言していただいたが、その冒頭に強制の元となった都教委の03年10月23日の通達(10・23通達という)を取り上げ、なぜこのような通達が平然と出され、それが教育現場でまかり通っているのかという質問を置いた。先生のお答えは、「わが国の民主主義が未成熟だから」というものであった(この証言記録と意見書等をまとめた本が年内に一ツ橋書房からブックレットの形で出版される)。戦後民主主義の「もろさ」という人もいる。私もまったく同感なのである。その未成熟な民主主義さえも今奪われようとしている。問題は、なぜ戦後民主主義の時代を迎えてすでに60年にもなるのに、この国の民主主義がこのような状態にあるのかという点にある。その答えは、先生の証言でも詳しく触れられているが、私なりに意見を述べておくと、以下のようである。
 まず以下で取り上げる主要な本を紹介しておくと、本多秋五『物語 戦後文学史』(上)(中)(下)岩波現代文庫と中村政則・天川晃・伊健次・五十嵐武士編『新装版 戦後日本』全6巻のうち第3巻『戦後思想と社会意識』、第4巻『戦後民主主義』、第6巻『戦後改革とその遺産』岩波書店である。前者はすでに読み終わったが、後者はいま読んでいるところである。この6巻本は、1995年、戦後50年の節目に出版されたものであるが、戦後60年の節目の今年、再販されたものである。この10年の間に日本はずいぶん変わった。その点を考慮に入れる必要があるが、今日でもなお有用な本であると言える。後は必要に応じて他の本や雑誌を引用する。
 日本の民主主義が未成熟であることは、国内外の多くの人が指摘している。
 たとえば小泉首相の登場の際の支持率が、90パーセント台であったか80パーセント台であったか忘れたが、フランスの新聞が「日本の民主主義はいまだ成熟していない。成熟した民主主義の国では、こういうことはあり得ない」と報じていることを、日本の新聞が紹介していた。日高六郎さんは、「前回帰国したときは「日の丸・君が代」問題で驚きました。九十数%が実施するなんて。これは完全に全体主義国家ですよ。(イラクなど)あったでしょ、投票率一○○%なんて国と同じでしょ」と述べている(「憲法座談会 改憲掲げる小泉自民党にどのように抵抗するか」(週刊金曜日05年11月4日号23ページ)と述べている。高橋哲哉さんは、「戦後民主主義はメッキにすぎず、いまそれが剥げて地金がでてきたのだ」という趣旨のことを書いている(「思想・良心の自由と教育―抵抗することの意味を考える」かもがわブックレット『私の不服従 東京都の「命令」に抗して』所収)。戦前の体験をもつ私は、戦前に比べれば思想や言論の自由が保障されるようになったことを実感しているが、現在のこの国の民主主義の危機的情況と国民一般の危機感の希薄さを目にするにつけて、それと似た考えをもたざるを得ない。最大の危機は、危険な情況にありながら危機感をもたないことである。有名なタイタニック号の悲劇も、沈没する寸前まで船長以下の船員も乗客も、沈没するとは夢にも思っていなかったことに基因している。私はこれまでもこの国の民主主義の危機を事あるごとに訴えてきたが、今後はもっとはっきり言う必要があると考えている。
 さて問題のなぜそうなのかということだが、歴史的には恐らく中世くらいまで遡る必要があるのであろうが、その話は別にするとして、少なくとも江戸時代までは遡って考えるべきであろう。若葉みどりさんは、『クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国』(集英社)という本の中で「他の文明や宗教を排除する鎖国体制」は「日本の悲劇であった」「日本は世界に背を向けて国を閉鎖し、個人の尊厳と思想の自由、そして信条の自由を戦いとった西欧近代世界に致命的な遅れをとった」と書いている(同書531ページ)。私もそのように思う。国家がすることでその国民にとって最悪なことの一つは、外からの情報を遮断することである。そのことは、歴史上も現代も多くの事例があるではないか。外からの情報を遮断すると、国民は世界的規模でものを見、考えることができなくなる。外の世界を知らなくなる。「井の中の蛙大海を知らず」とは、よく言ったものである。現在でも日本人の視野の狭さは、しばしば問題にされている。この視野の狭さが重要な判断を誤らせる。小泉首相の外交政策も、その視野の狭さのゆえに対米一辺倒になり、中国や韓国との関係を最悪なものにしてしまっている。
 明治維新は「市民革命とはいえない」とよく言われ、結局は天皇を担ぎ出し、天皇制絶対主義国家を造ってしまったが、これも260年にわたる鎖国のなせる業だと考える。明治期のわが国の近代化はすなわち西欧化にほかならなかったが、当時の為政者は、西欧諸国の法制その他の文物について感心するくらいよく調べている。かなり前から中国人戦争被害者訴訟の関係で、国家無答責に関する文献をいろいろと調べてみたが、当時の為政者が、欧米諸国の法制を維新以来わずか20年前後の時期に、しかも数年間というきわめて短期間のうちにかくも詳しく調べていることに感心した。明治初年の遣欧米使節団や明治10年代の伊藤博文の憲法調査のための渡欧はその一端である(これらについては、たとえば田中彰『明治維新と西洋文明』岩波新書、瀧井一博『文明史のなかの明治憲法』講談社を参照されたい)。
今日の私たちは、欧米諸国の事情について、彼ら以上にはるかに詳しい知識をもっているが、それは維新以来130数年をへているからであって、私たちが現在の欧米諸国の事情をこれほど詳しく調べているかと言えば、到底そうは言えない。
 ところでこのような長年にわたる鎖国政策のために、明治政府が選択し得た選択肢は、きわめて限られていたと考えられる。もちろん当時の為政者を、そのゆえに弁護しようとしているのではない。そのような考えは毛頭ない。私が言いたいのは、鎖国すなわち外からの情報の遮断がいかに大きな禍を国民に与えたかということである。最近の日本も、一種の鎖国状態にあるのではないかと言われることが多い(たとえば大江健三郎『鎖国してはならない』講談社参照)。閉鎖的で内向き志向にとらわれ、国外にもち出せば決して通用しない「論理」を身内だけで論じて得々とし、それに陶酔しているからである。
 明治期の為政者が欧米諸国のことをよく調べていると言っても、彼らが見聞したことは、所詮その時点でのいわば瞬間風速だけであり、西欧における中世自由都市の歴史から始まって19世紀半ばまでの西欧の精神的価値の創出と蓄積の歴史まで調べたわけではない。そのような歴史的パースペクティブを彼らに求めても無理な話である。短期間のうちにそこまで理解できるわけがない。しかしそのことが分からないと、西欧が生み出した精神的価値の意義―個人の尊厳、思想・良心・信教の自由、自分と他人の思想の違いを認め合い尊重し合う寛容の精神や市民的自治の精神の意義―を理解することはできないのである。私の民主主義論も、そこから始まる。
 今回は、いわば入口のところで終わってしまったが、次回以降にこの続きを書いてみたい。