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2005年07月26日の日記

大阪地裁判決に抗議!

中国残留日本人孤児の願いを切り捨てた
 大 阪 地 裁 判 決 に 抗 議!
 (大鷹一郎裁判長)

◎国の責任認めず、全国2000名をこえる残留孤児の願いを切り捨て
 7月6日、中国残留日本人孤児国家賠償大阪訴訟について、大阪地方裁判所第8民事部(大鷹一郎裁判長)は、国の賠償責任を認めず、原告ら全員の請求を棄却する判決を言い渡しました。
 この訴訟は、国が早期帰国実現義務及び帰国後の自立支援義務を怠ったことにより、日本人である原告らが、日本社会で、日本人として人間らしく生きる権利を奪われ続けてきたとして、人権の回復を求めて提訴した訴訟で、全国15の地方裁判所で、2000名を超える残留日本人孤児が原告となり提訴しているもの。生活できる年金もなく、7割の孤児が生活保護を受けています。

◎各新聞社説もこぞって判決を批判
 「現実に目をふさいだ判決。今判決が踏襲されないことを求める。」(北海道新聞)、「温かいまなざしに欠ける判決」(神戸新聞)、「国から自立支援義務を消し去るのは粗っぽい論理」(河北新報)、「戦争被害者と同列とは疑問」(愛媛新聞、徳島新聞)、「(戦争被害として)等しく忍従すべしは妥当か」(高知新聞)、「国への立法措置必要との言及もなし」(徳島新聞)、「理解に苦しむ」(南日本新聞)、「国と国民の人権感覚そのものが厳しく問われる」(北海道新聞)
 判決に対しては、全国の新聞でいっせいに批判する社説が出されています。

◎残留孤児の被害は、単なる「不便、不利益」なのですか?
 判決は、「帰国後も日本語能力が不十分なことなどに起因して、社会生活上様々な場面で不便をきたしたり、不利益を受け精神的苦痛を受けたこと」と被害を認定していますが、帰国後も祖国日本において、自立する基盤をもたず、就労、地域生活などにおいて中国人のように扱われ、その個人の尊厳を侵害されてきた深刻な被害としてとらえていない皮相な見方です。これは日本語を話せない孤児の尋問時間を一人30分に制限した大鷹一郎裁判長の「迅速」審理によるものです。
「戦後も国は長い間、孤児たちを放置した。国が訪日調査を始めたのは終戦から36年もたった1981年。その3年後に埼玉県に日本語を学ぶための定着促進センターができたが、入所期間はわずか4カ月だった。孤児たちの支援対策としてはあまりにも粗末過ぎた。多くの孤児たちが満足に日本語を話せないため就職が難しく、偏見や差別もあり、生活苦にあえいできた」(沖縄タイムズ)のです。

◎戦時死亡宣告と帰国意思なしとの決めつけで社会的に抹殺
 判決は、孤児たちの帰国支援義務は、日中国交回復以降にしか生じないとし、さらに国は努力したので、義務違反はないとしました。しかし、7月20日に放映された「NHKクローズアップ現代」(私は" 死亡" していた〜中国残留孤児・新資料が語る戦後〜)で取り上げられたように、昭和34年に戦時死亡宣告制度を導入したり、本人に確認もせずに帰国意思なしと決めつけて未帰還者リストから削除して、残留孤児を政治的社会的に「死んだ」ものとし、帰国施策を放棄したという重大な事実はどうして無視されたのでしょうか。

◎4度目の棄民ともいえる非情な判決
 中国残留日本人孤児たちは、1回目は敗戦時に国に棄てられ、2回目は戦時死亡宣告制度などによる帰国政策放棄により棄てられ、そして3回目は帰国後、冷たい政策により国に棄てられました。大阪地裁判決は、孤児たちが最後の希望を託した司法による救済も拒否したもので、何度も国に棄てられた孤児たちに対する非情な判決です。

◎残留孤児の人権回復運動を応援してください
 「孤児たちを不安から救いだそう」(毎日新聞)、「もう置き去りにするな」(朝日新聞)、「さらなる充実した支援を」(産経新聞)
 世論は私たちを応援してくれています。私たちは大阪地裁では敗訴しましたが、残留孤児の窮状を国民の多くのみなさまに知っていただくことができたことを心強く思っています。私たちは、このような不当判決に負けることなく、大阪高裁で必ず正義の判決を獲得するまで頑張りますので、市民のみなさまの温かいご支援をお願いします。ありがとうございました。


大阪訴訟弁護団のホームページ
http://www.geocities.jp/kkosio2000/

中国「残留孤児」国家賠償訴訟 大阪原告団
連絡先 〒590-0113 堺市晴美台4丁目1-4-307

※7月26日、大阪訴訟原告団、弁護団は、7月6日不当判決に対する抗議活動を行いました。
抗議チラシPDF(中国残留孤児in岡山)
http://www.geocities.jp/czk_oka/index.html