No.38の記事

「国旗に注目」違反を理由とする注意処分の撤回を求めます 

2005年11月13日

東大和市教育委員会御中

 弁護士 澤藤統一郎
 
文京区で弁護士を業としている者です。
職業柄、人権や民主主義の問題に関心を有しております。とりわけ、作今の石原都政下の戦前回帰指向と言うべき復古にして強権型の教育行政に、違和感のみならず危険なものを感じ、深く憂慮しております。
その立場から本通知を差し上げますが、事実経過の確認は不十分ですし、前提事実に間違いがあるやもしれず、そのゆえに礼を失している点があればご容赦願う次第です。

貴委員会が、東大和市立小学校の教員に対し、「学校運動会の国旗掲揚・降納の際に、国旗に注目という職務命令に従わなかったとの理由で、口頭注意の措置に及んだ」との報せに接しました。

間違いであればその旨ご指摘いただきたいと存じますが、事実とすればはなはだ重大な問題の措置であり、厳重に抗議するとともに、すみやかに撤回されるよう申し入れます。

言うまでもなく、公教育は憲法・教育基本法に則って行われなければなりません。国旗に対する国民の尊重義務は、憲法・教育基本法からはもちろん、国旗国歌法からも出てくる余地はありません。むしろ、教員を含む国民には思想良心の自由(憲法19条)があり、国旗・日の丸に対する特定の評価や尊重の強制は、思想良心の自由を侵害するものとして厳に慎まなければなりません。それが、公務員に要求される憲法遵守義務(憲法99条)の遵守であり、教育基本法10条が教育に対する行政の不当な支配排除を命じたことの帰結でもあります。

私が申し上げたいことは、学校での日の丸強制が、形式的に憲法や法律に違反していると言うものではありません。憲法・教育基本法は、戦前の国家主義を徹底して反省することを出発点としたものです。天皇への絶対的な帰依を臣民に要求し、個人の上に国家を置く思想をたたき込んだのが戦前の教育でした。ここから、排外主義、軍国主義、非合理な権威主義が育ちました。戦後の教育は、戦前の過ちを再び繰り返してはならないとして再出発したものです。その根底には、個人の思想良心を大切にし、これを国家の意思で蹂躙してはならない、という大原則の確認があります。

運動会の国旗掲揚と国旗への敬意の強制は、国家が際限なく教育の場に進入していく第一歩という恐ろしさを感じさせます。貴委員会が心を用いるべきは、運動会に国旗掲揚を強行し、職務命令まで発したという校長に対して、憲法や教育基本法の精神を尊重するよう指導することであって、職務命令に従うよう教員を指導することではありません。今回の教員に対する口頭注意が事実とすれば、貴委員会が教育基本法に理解なく、憲法遵守義務に違背したものと指弾せざるを得ません。

東京都の石原教育行政は大きな問題を露呈して世論の批判を受けるだけでなく、膨大な訴訟を抱えるに至っています。やがて、司法の断罪を受けなければなりません。貴委員会が、このような都の教育行政に盲従することなく、独立した自治体の教育委員会として、憲法や教育基本法の精神を体現した地域の教育条件整備に心を砕かれますよう、心から要望いたします。

くれぐれも、教育という営為は子どもの利益のためにあるもので、国家のためにあるものではないことをお忘れにならないように。ましてや、教育に携わる者の保身のために、いささかも教育が枉げられてはならないことを銘記いただきたいと存じます。